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仕事らしい仕事が一段落し、騒動らしい騒動も起こりそうになかった。こういう時はよく昔馴染みの誰かが迷惑で厄介なことを持ち込んでくる。 いや、持ち込むというのはちょっと語弊があるな。正しくは『持ち込む』ではなく『巻き込む』だ。毎度毎度のことなのでぼくもそろそろ学習しなくてはいけない。
巻き込むつもりがなくても巻き込めばそれは巻き込んだことになるし、巻き込まれるつもりがなくても巻き込まれてしまえばそれは巻き込まれたことになる。
だからぼくはベッドの上から起き上がるなり、事務所にしている部屋に直行して受話器を上げた。いつかどうぞと言われていた場所への番号を迷いなく押す。 二コール目で応じる声がした。
「ぼくです。今からお世話になってもいいですか? ……はい、午前中には出発するので、日が暮れる前には着けると思います。ええ、よろしくお願いします」
かちりと受話器を下ろして、ぼくはもう一人を起こすために寝室へ戻る。 と、その必要はなかったみたいだ。 ベッドの上にちょこんと座っていた。背は伸びても、線が細いから実際よりも随分小柄に見える。
「おはよう。友」 おはよう。いーちゃん。
彼女はそう言って腕を伸ばした。
アバンチュール トラベル
「出掛けようか」
うん。と玖渚は頷く。 そしてベッドから飛び降りると、パジャマを脱ぎ落としてクローゼットを覗き込んで吟味し始めた。脱ぎ捨てられた残骸を拾って、ベッドの上に放り投げる。さて、ぼくは顔でも洗ってこようか。
「いーちゃん、後ろお願い」 ちょうどタオルで顔を拭ったところで玖渚が来た。背中のファスナーを上げるというのは男の憧れるシチュエーションとよく言われるけれど、やはり慣れてしまうとそうでもない。 玖渚の体の硬さは現在も健在で、この服を着る時はいつも手伝わされている。
「さんくー。僕様ちゃん似合ってる?」 くるりと振り返ると、それに合わせてワンピースの裾が揺れた。一応真冬なので後でコートを車に積んでおこう。 それから手袋とマフラーと。向こうに行けば揃っているだろうけれど、昼食は車を降りるだろうし。 「似合ってる似合ってる。ちゃんとお湯出して顔洗えよ」
問答無用でゆるく髪を括ってやる。玖渚はうーと唸りつつも、蛇口を捻った。
簡単な朝食を食べて、車の鍵を開ける。 ぼくは昼食代とガソリン代の入った財布をポケットに突っ込んで、運転席に座った。
「少しのんびりしよう。だから持って行くものがあれば今の内に取ってこいよ」 「いーちゃん仕事は?」 「しばらく休業。今依頼されていることはないし、ぼくがいなくても哀川さんが引き受けてくれるだろう。お前こそパソコンは?」
玖渚は何一つ持たずに助手席に乗り込み、シートベルトを締めようと格闘している。 「そんなのいらないんだよ。ひかりちゃんがいるホテルみたいな所には僕様ちゃんが生きてくのに必要なものがそこそこ揃ってるからね。せっかく雪山の山荘に行くのにハイスペックなパソコン持って行ったってしょうがないよ。僕様ちゃん、あんまり機械を振り回さないことにしたんだよ」
行き先を知ってやがった。
「いーちゃんの頭の中は機能低下した僕様ちゃんにも筒抜けだよ。いや、停止してて再始動して、結果喪失だったかな。おっ、はまった」 かちんとベルトが締まる音がした。
「でも人称は変わらないんだな」 「『私』だといーちゃんがいなかった時思い出して嫌だし、『僕』だと昔のいーちゃん思い出すから嫌」 「昔のぼくは嫌いだったのか」 何となく驚きのようなものがあって、ぼくは玖渚を見た。
「違うんだよ。あの後いーちゃんは黙って、何にも言わないで、書き置きもなくて、留守電もレコーダーも置いていかずに突然いなくなっちゃったじゃない。あれが気に入らなかったんだよ、僕様ちゃんは」 この世界をぶっ壊してやろうと本気で思ったんだから。まー今になっちゃあ良くはないけど悪くもない思い出だね。
玖渚はそう言って笑む。 ぼくは否定も肯定もせずに、ゆっくりとアクセルを踏んだ。
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