リザは困惑していた。
 今回の件の重要参考人だというからどんな少年だと思えば、予想より遥かに幼い容貌だった。もうそろそろ目を覚ます頃だろうとは聞いていたが、ドアノブを捻れば少年はすでに覚醒していて、酷く不安げで一瞬恐怖すらにじませた瞳を向けた。


 真白い部屋の中、ベッドの上にちょこんと存在する子供。幾分ほっとした様子だったので、女性だからという安易な理由だったとしても、自分の接触は流れをいい方向に傾けたに違いないとリザは思った。





 反実仮想  06





 「失礼します」
 特に話題もなく、こんな時まで仕事の話をするのはごめんだという二人の男が沈黙を持て余し始めた頃、リザが戻ってきた。
 騒動が起こった様子もなく、待ちくたびれるほどに滞在していたところを見ると、それなりの成果はあったようだとロイとノックスはひとまず安堵した。


 「どうだった?」
 尋ねたのはロイだ。乱雑しかけている部屋で、空いたソファに掛けるように促されたリザは一礼と共に腰掛ける。
 「あれほど幼い少年だとは思っておりませんでした」
 嘆息するような第一声に、ノックスが弁解する。
 「事前に余計な情報を与えてイメージ作っちまうのはよくねぇだろうってこいつの判断だ。で、こんだけいたんだ。何か気付いたことがあったら聞かせて欲しい」

 その言い方に違和感を持ち、リザはロイに視線を向けた。
 「「我々」はあの少年について何一つ彼の口からは知り得ていないんだ。ノックス意思の話によれば、正直片目は見え、声を出せることくらいしか分かっていない」
 リザは少々驚きながらも、あの少年のことを思い浮かべた。
 「彼は私の言葉をちゃんと理解していましたよ。僅かですが言葉も喋ってくれました」

 「ちくしょ。何で俺らの時はあんなに怖がって暴れたのに」
 ノックスはリザの話を書き留めていく。
 「名前を聞くと「エドワード」と。彼はこの環境に随分戸惑っているようでしたので、危害を加える人間はいないのだと言い聞かせました。初対面ですし、それ以上踏み込むのは私の力量では無理だと判断しました」

 「ということは分かったのは名前だけか」
 「申し訳ありません」
 「いや、十分だ。あのガキが信用する人間が一人でもできたことは大きい。協力、感謝するよ。ホークアイ中尉」
 「いえ。もう少し会話できれば何かしら分かったのかもしれませんが、疲労が見て取れたので休ませました」

 「彼は君のいるところで眠ったのか?」
 「はい」
 ロイがノックスに詰め寄る。リザはすっかり蚊帳の外だ。
 「警戒心がまるでないじゃないか。あなたの診断は正しいんですか!」
 「い、いや。でもなぁ。先日は本当に酷かったんだ。もう手も付けられない状態で」

 「帰るぞ。中尉」
 ノックスの必死にも耳を貸さず、ロイは立ち上がった。一応用は済んだのだ。
 「分かりました。夕刻にヒューズ中佐が立ち寄るとのことでしたので、急ぎましょう」
 「あ、まだ……」
 「失礼しました」
 一言を残して無情にもドアが閉まる。
 ノックスは肩を落として呟いた。

 「あのガキについての一切の責任が任せられるかも知れないってのに。ま、いっか。どっからか耳に入るだろ」










 「何だよ、じゃあお前さんはちらりとも会わなかったのか」
 市街地の馴染みのパブに、三人の軍人がいた。けれども、このパブは誰でも彼でもが入ってこられるような所でもなかったし、もちろん当人らはとっくに私服に着替えているので、軍人だと分かるものはいなかった。素性を知っているのはオーナーと一部の店員くらいだ。


 事務的で、書類にまとめて提出する必要があるような話は執務室で終えてきた。しかしそれですべて済むわけもない。
 
終業の定時まで有能な副官を拘束するわけにもいかない、とヒューズは考えた。
 しっかり定時に仕事を終えるようにし、どこかで飲みながら話を聞いた方が互いに都合がいいだろう。
 それでヒューズは自宅へ夕食を断る電話を入れ、ロイとリザを引き連れてこの店へ来た。


 「ちらりも何も、ずっとノックス医師の部屋さ」
 ヒューズの隣で、ロイはグラスを傾ける。若干すねたような言い方に、疲れが見える。事件が解決に向かう気配がしないのでその気持ちはヒューズにもよく分かる。だからこそこうして現状打開の糸口を見つけようと情報や考察を手に入れているのだ。
 「リザちゃんの話じゃ随分小さい子だったんだろ?」
 リザはその呼称に一瞬躊躇するが、ここで階級やファミリーネームを使うわけにもいかないのだろうと納得し、ヒューズの問いかけに頷くだけにした。

 「年齢を判断するための基準になるような子が近くにいないので当てにはなりませんが、十代前半……プライマリーにいるくらいに見えました」
 「十歳ちょっとってとこか。なぁ……」
 「こっちは本当に何も分かっていないんだ。誰も口を割らないし、施設内も錬金術に関する薬品、実験機材があるくらいで、特筆すべきこともない。『彼らは政府及び軍に盾突くために手を組もうとしていたらしく、研究所は確かに錬金術を扱っていた。おそらくは反逆時に使用する武器等を製造しようとしていたと考えられる。以上』で済むはずだったんだ。物的証拠や証言などなくとも、状況証拠を積み重ねれば立件、裁判、判決、終了、だ」

 ヒューズの言葉尻を遮って、ロイがまくし立てる。捜査が遅々として進まないことに半ば自棄になっているらしい。
 「あの少年が異分子なのですか?」
 「そうだろう。彼がいなければすべて丸く納まる」
 リザの問いに当然の如く答えるロイに、ヒューズがストップをかける。
 「そんなに簡単にいくか。敷地内で見つかったヤツはどう説明する」
 指したのは白骨化しかけた遺体のことだ。さすがに口に入れるものの前で直接言うのは憚られる。

 「スパイの養育だろうって話をしたじゃないか」
 ロイがだるそうに言う。リザは黙って会話に耳を澄ましている。
 「その線は薄くなってきた」
 「どういうことだ」
 「ほら、俺んとこは事後確認だから、お前さんのとこ以外からも情報やら資料やらが来るわけだよ。するとさぁ、どうも引っかかる気がするんだよな」
 俺の勘が訴えるわけだよ、とヒューズがびしりと言う。
 ぽんぽんと調子よく会話が進み、二人の親密の度合いを如実に示す。

 「口にするという事は、お前の勘だけが根拠ではないのだろう」
 「まぁな。だってよ、お前のとこにしたって、あの施設からそれなりの物は押収されてないだろう。教育用のテキストとか、訓練用の武器とか用具とか」
 確かにそうだった。スパイとして使えるようにするためにはそれなりの訓練が必要になる。知識も叩き込まなければいけないし、暗殺や身を守るためには武器が扱えなくてはならない。
 けれども、その類の教材は一切押収リストにはあがっていない。捜索が完全に終わったわけではないのでまだ見つかっていないだけかもしれないが、あの異様な一室からもそれらしいものは見つかっていない。
 「スパイとして育てるのに錬金術の研究所を使うのも考えてみれば妙だしな」
 「カモフラージュかと思っていたのだがな」


 今ある情報だけではろくな考察もできそうにない。とにかくヒントが少なすぎる。かと言って、誰にでも相談できることでもない。ほいほいとメディアに情報を与えるわけにもいかず、少年のことも他言無用、加えて拘束している人間の証言も要領を得ないと、この事件はしがらみが多すぎてやりにくい。

 「なぁ、俺はその少年に会えんだろうか」
 ふと思いついたように、ヒューズが言った。
 何でもいいから聞き出したい、話だけでもしてみたいという思いは分からないでもない。しかもヒューズは少年の存在を知らされている人間だ。
 ただし状況が複雑なので、ロイはリザに伺いを立てる。
 「君には平気だったようだが、どう思う?」
 ノックスの話では対人に問題あり、人間不信になっているのだろうとのことだったのに、リザは拒絶もされずに受け入れられた。その差がどこにあるのかさえ分からないのだ。下手に刺激してリザへの信頼まで壊すわけにはいかない。

 「私も今日初めて顔を合わせただけです。何とも言えません。ノックス医師には協力を要請されていますので、もうしばらく様子を見て、それとなく切り出してみてはどうでしょうか」
 ロイはそれに頷き、ヒューズも快諾した。





next