ノックスは机上に置いたものを見つめていた。
 ――用を成さなくなった革製の拘束ベルト。
 それはエドワードが意識を取り戻して最初の接触時に彼に施されていたものだった。本来ならば不信なことがあれば報告するのが常だが、パニックを起こしたことだけに目が向き、結局拘束具が破損したことしか報告書には記していなかった。
 現物のこれも片付けのどさくさに紛れて、つい先程見つけた。

 見つけてその破損の仕方に眉を寄せた。

 今回は患者の逃亡を防ぐために使用したが、本来の用途からすればちょっとやそっとの衝撃が加わったくらいでは破損などしない。
 それに、破損部位の状態が明らかにおかしい。引きちぎれているわけでも、金具が外れたわけでもない。
 ノックスは、今日訪れる予定の国家錬金術師に相談すべきだという自分の直感を信じた。





 反実仮想  08





 「軍服なのは平気らしいから格好はそのままでいい。それとできるだけ刺激を与えんな。年齢は十歳くらいのようだが、もっと小さい子を相手にするように笑顔で。そうだ、ヒューズ中佐んとこには娘さんがいたよな今いくつだ?」
 すかさずヒューズが胸元から写真を取り出す。表情はとろけそうだ。
 「もうすぐ四歳になる。ノックス軍医まで噂が届いているなんて、まあエリシアはスペシャルキュートだからなぁ。そうだ。この間なんて……」
 「届いているのは娘の噂じゃなくて所構わず家庭自慢するヒューズ中佐の噂だよ」

 ノックスが早々に自慢話を切り捨て、日頃から迷惑を被っているロイはほっとしていた。
 「じゃあヒューズ中佐がいれば大丈夫だろう」
 「私だって笑顔くらい作れる」
 「お前のは女用だろう。そんな笑み子供に向けたら怖がられんぞ」
 「そこ笑うな!」
 隠すことなく吹き出したヒューズと背を向けて肩をかすかに震わせているリザにロイが言う。

 「後から俺も行く。マスタング、面会が終わったらエドワードのことでちょっと相談がある」
 何か思案するように言ったノックスに、ロイが意外そうな顔をした。
 「後でいいのですか? 手短に済むのなら今でも」
 「いい、いい。とりあえず本人見てみなきゃ話が進まんだろう」
 「それでは大佐、ヒューズ中佐、こちらです」
 リザの案内で、三人の大人は一室へ向かった。





 ノックの音に、エドワードはびくりとする。
 今日は軍人を連れてくると約束された日だ。軍人というものすらよく分かっていなかったが、男二人ということにエドワードは酷く緊張していた。
 リザやノックスの言葉の端々から、何となく自分は事件のような何かに巻き込まれていて、そこから助け出されたらしいということは理解していた。
 事情聴取という言葉も知っていたけれど、実際にどんなことをするのかまでは知らなかった。持っている知識は全て本からだから。

 エドワードは返事をすることもできずに、ドアが開くのを待つ。
 リザの後から部屋に入ってきた二人は初めて見るエドワードに、一瞬眉をひそめた。
 救出されてから結構な日数が経っているというのに、いまだ片目はふさがれたまま。左足はギプスがはめられ、サイズが合わない入院着からは包帯がのぞいていた。
 それでも、助け出した時よりは随分マシになったとロイは内心思った。



 一通りの自己紹介を終え、エドワードも自分の名前を口にする。それにヒューズが喜び、エドワードは困惑した。
 ロイはドア付近の壁に寄りかかり、ヒューズはベッド脇の椅子に腰掛ける。リザは一度ロイに椅子を勧め、断られると自分が座った。

 「エドワード、俺どうしてもお前に会いたくてさ。怪我も治ってないのに無理させてごめんな」
 エドワードが首を振る。
 「……事情聴取?」
 そう言うエドワードに、ヒューズが悲しそうに笑う。
 「物知りだな。うん、いろんなことをエドに聞きたい。でも、今じゃない。まずは怪我を治すことだ」

 「そんな悠長でいいのか」
 ぼそりと呟かれた言葉に、ヒューズとリザが振り返る。
 「……お前なあ」
 二人分の睨みに、ロイは肩をすくめて視線を外した。

 「今日はエドワード君が質問していいのよ。答えられることは答えるわ」
 エドワードが息を吸い、それに大人達がわずかに構える。
 何を聞くかはずっと考えていた。聞きたいことはあったけれど、答えられないような質問をしては意味がない。だからずっと考えていた。どう尋ねればいいのか。

 「……あの建物から、連れ出された子供って……オレだけ?」

 一瞬の沈黙があり、エドワードは驚きと悲しげな表情を見たくなくて、目線を握り締めた両手に固定していた。何となくは分かっていた。
 「そうだ。助け出された子供はお前だけだ」
 否定のしようもないほどに肯定したのは、ロイだった。質問の含んだ意味も捉えての、返答だった。
 リザが非難の声を上げたが、ロイは一切意に介さないようだった。
 「他に、聞きたいことは?」

 「ううん。ありがとう」



 ああ、一緒に学んでいた友達はみんな殺されてしまったのだろうか。あの仲がよかったアルフォンスも。自分のような目に遭ったのだろうか。なぜ殺されたのだろう。研究員達は自分達に知識を植えつけて育てていたのに。いらなくなったのだろうか。
 でももう考えない。

 覚悟してたもん。何度も死がよぎったあの部屋で、もうアルにもみんなにも会えないんだって。それで自分はここで死ぬんだって。だからもう会えなくても、それは何となく分かっていたことだし、自分の中でケリを付けられるだろう。
 建物にいなかったってことは始末されたからで、ということは死んでしまったのだ。死んだ人間は戻らない。だから自分がされていた方法で殺されていないことを願うだけ。



 エドワードが考えていることは大人達には分からない。黙り込んでしまった子供に、リザはロイの言動に頭を押さえたくなった。
 「事情を聞くのは、君が落ち着いてからでいい。私かヒューズが立ち会うから」
 「……うん」
 ショックだろうに泣く様子もなく、唇をかみ締めているエドワード。少なくとも大人二人は居たたまれなくて仕方がなかった。
 「つらい思いさせてごめんな」
 エドワードは大丈夫、と小さく答えた。

 「あ」
 「ん?」
 声を上げたエドワードに、ヒューズはできるだけ優しく答える。愛娘に対するように。
 「ヒューズさん達は、今度いつ来るの」
 「そうだなあ。ノックス先生の了解が取れてからだな。とにかく怪我治さないとな」
 ヒューズは頭を撫でそうになって、触れることを禁止されていたことを思い出す。撫でる代わりに立ち上がり、今日はもう十分だとリザに合図する。それを見てロイも壁から背を離した。

 面会は終わりらしいという気配を察したエドワードはきょとんと、ヒューズを見上げた。
 これで終わり?
 「ねえ、オレ何をすればいいの?」
 困惑するあどけない顔に、リザが意を取り違えて答える。
 「私達は帰るけれど、食事まではいつも通り好きなことをしていいのよ。夜にはノックス先生が往診に来るから」

 「そうじゃなくて、足りないだろ。あと何をすればいいの?」

 突然切羽詰ったように繰り替えしたエドワードに、唖然とする。重みを感じて目を落とせば、ヒューズの袖をエドワードが握っていた。
 「ちゃんと答えてくれた分、オレも聞かれたことは答える。でも、殴られなくてすむこと、治療してくれること、暖かい布団で眠れることは? オレ何もしてないじゃん。それじゃ全然足りない」
 リザが落ち着かせようとするが、エドワードの手は緩まない。
 言っている意味が分からない。ここでパニックを起こされてはとても困るし、エドワードにも負担をかけることになってしまう。

 「どういうことだ。何が足りないんだ」
 この状況で不自然なほど素っ気無く呟いたのは、やはりというかロイだった。
 「だって」
 エドワードは僅かな不安を覗かせる。

 「だって等価交換なんだろう」

 瞬間、ロイの睨みにエドワードが竦み上がる。エドワードの身体の強張りに気付いたヒューズとリザは振り返って絶句した。
 ヒューズがエドワードをリザに預け、無言で部屋からロイを引きずり出した。扉を閉める前にエドワード用の笑顔を向ける。
 「エド、また今度な。中尉、あとはよろしく」
 「承知しました」



 「なにいまの」
 エドワードがぽかんとして言う。思考が散ってしまったようで、もうパニックを起こしそうな様子はなかった。
 「あの人大佐だし、国家資格も持っているからエリートといえばエリートなんだけれど、人間的にちょっと足りないのよ。怖がらせるつもりはなかったのよ、多分。許してね」
 リザが申し訳なさそうに言えば、それ以上は何も言えない。

 「……国家資格?」
 「あれでも国家錬金術師なの。等価交換なんて錬金術用語を聞いたから、あの人びっくりしちゃったのよ」
 リザがゆっくりと離れる。
 「さっきの話だけれどね、エドワード君の言うものに代価はないわ。あなたはこういう暮らしをできる権利を持っているだけ。どうしても代価を求めるとすれば、それはエドワード君が元気になることよ」

 ぱたんと静かに扉が閉まって、エドワードは半ば呆然とした状態から抜け出した。





番外編 ラジオ日和