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「おかえりなさいっ! たーいーさー! 兄さんを何とかしてくださいっ!!」
初めてアルフォンスがロイに泣きついてきたのは学校が始まってすぐのことだった。
その後 番外編 過保護な兄による弟の食事苦難。
以前よりは遥かに近しくなったといっても、約五年間付かず離れずのポジションをキープし続けていた大人にとって、兄弟が年相応の言動をする姿を見るのは驚愕に値することだった。
ロイが帰宅し、玄関の扉を開けた瞬間、アルフォンスがものすごい勢いで駆けて来て、追い詰められた表情でしがみ付いた。 あまりのことに唖然としているロイを盾にするようにアルフォンスが背中の方に回り、「大佐ー」と「兄さんを」と「何とかしてください」を繰り返す。 ロイは身体を捻って、すっかり『恐怖』しているアルフォンスを確認する。顔色が悪いのは気のせいではないだろう。
そうこうしているうちに、アルフォンスを半泣きにさせている張本人が姿を現す。 「アールー。あ、んなとこに。何だよ、オレはお前のためにだな…」 「エドワード、ただいま」 「……う、ん。おかえり」 馴染みつつはある挨拶をぎこちなく言う。エドワード自身が半ば禁じていた言葉を交わすことをこの家のルールにしたのはロイだった。 家を出る時には「いっています」「いってらっしゃい」、家に帰ってくれば「ただいま」「おかえりなさい」。エドワードとアルフォンスがかけられ、応えた数は、普通の家庭で育った十六歳や十七歳の子供とは比べ物にならないくらい少ない。それを取り戻させようとするかのように、ロイは毎回必ず口にするのだった。
「それで? 一体どうしたんだ。アルフォンス、まず落ち着きなさい」 何事もないように平然としているエドワードと、涙目で何かを必死で訴えているアルフォンス。二人の様子があまりにも食い違っていて、ロイはどちらを基準にすればいいのか迷って…… 「アルフォンス、私でよければ力になるよ」 堅実に弟を選択した。
「兄さんがボクのお弁当を作ってくれるって……でも、」 食卓を前に、アルフォンスは遠慮しがちにも、まだロイに引っ付いていた。普段、冷静沈着なイメージが強いアルフォンスにしては、かなり珍しいことだった。 エドワードはそれを不服そうに見やって、温かいスープを白く底のある皿に盛り付けていく。 「大佐、オレの料理不味いかな?」 「いや……」 「美味しいに決まってるでしょっ! 何言ってんの。兄さんの作った料理はレストランのよりずっと美味しいよ」 ロイの否定がアルフォンスの絶賛でかき消される。
この家に居候をするようになって、エドワードはよく料理を作るようになった。 旅生活を続けていたせいか、初めは直火のような物しかできなかったらしいが、すぐに図書館から簡単な料理の本を借りてきた。 メニューが変わってきたな、とロイが気付いた頃には、テーブルに並ぶ皿の数も増えていた。知らないうちに、ほとんど使われていなかったキッチンの戸棚は食器や調理器具で占められ、壁には食品の栄養分布図らしい紙が貼られていた。 見る見るうちに格段に腕を上げ、味など文句の付けようもなく、盛り付けにいたっては錬成時の造形センスからは考えられないほど普通……というかむしろ上手かった。
ロイは自分が以前ニンジンかジャガイモの皮剥きを手伝おうとして手を傷だらけにしたことを思い出した。それで料理の腕をそれとなく褒めると、エドワードは大したことでもないように答えた。 「錬金術って台所から生まれたって説もあるくらいだしな。錬金術師ってこのくらいはできるもんなんじゃねぇの?」 大人気ない悔しさとショックで、その夜はよく眠れなかった。
いつもならば、エドワードが作った食事ではアルフォンスが「兄さん、美味しいよ」。アルフォンスが作った食事ではエドワードが「アル、すっげー美味い。何使ったんだ?」などとロイの頬が思わず緩んでしまうような会話が交わされているというのに。 そういえば最近は品数が多いな、とふいにロイは思った。
「じゃあ何が不満なんだよ!」 「多すぎるって言ってるんだよ!」 (ああ、やっぱり) 二人の応酬が激しくなってきて、ロイは思考を現実に引き戻した。と同時にアルフォンスが袖を強く握った。 「大佐ぁ、どこの世界に弟の弁当に食パン一斤分のサンドウィッチと中型タッパーいっぱいのサラダとアップルパイ三切れとリンゴ二つとミネラルウォーター二リットルを持たせる兄がいるんですか!? ピクニックじゃないんですよ! 一体何食分の量ですか? 教科書、ノートを入れた鞄よりも重いんです!」 切羽詰った声が、アルフォンスの必死さを窺わせる。
確かに一人分の昼食にしては量が常軌を逸しているとロイが諌めようとしたが、エドワードが口を開く方がわずかに早かった。ずかずかと近寄ってくると、エドワードはアルフォンスの腕をつかみ上げた。 「アル! いいか。お前は成長期だし……いや、もちろんオレもだけど、今までの分までもっと食べるべきだ。大佐、ほらアルまだ細いじゃん。線は細いし、優しいし、珍しい時期の転校生だし。体育館裏とか屋上で群れてるバカってどこにでもいるもんだろ? そんなのに目ぇつけられて正当防衛した時に骨でも折れたらどうするんだよ。いや、それ以前にお前オレと何キロ差ぁあると思ってんだよ」
『あちら』にあったというアルフォンスの肉体は、エドワードとの精神の混線で餓死ということは免れていたが、およそ丸七年食事を採っていなかった。そのため、元の身体を取り戻した時は筋肉は落ち、痩せ細り、日常生活を送ることも怪しかった。 今もまだエドワードの言うように細い印象はあるが、心配するほどではなくなった。血色もいいし、運動だってできる。夜中に身体の骨が伸びて軋む音がするというくらい成長も著しいし、馴染みのドクターの診察でも異常はなく、体調も良好だと診断された。
「あのねー 兄さん、学校にそんなステレオタイプな不良いないよ。大体骨密度上げるためだからって、自分は飲まないくせに牛乳何本もストックして冷蔵庫塞ぐのやめてよね。カルシウムは一日に身体に取り込める量が決まってるんだよ。毎日少しずつなの。それに風邪ひきにくいように、ってオレンジまで食べたらビタミンCで相殺されちゃうじゃないか。体重は増えてるから問題ないってば」
幼い頃も兄弟喧嘩はよくしたと聞いていたし、右腕左足が機械鎧の兄と鎧姿の弟だった時も全く喧嘩しなかったわけではない。にも関わらず、今回アルフォンスが取っ組み合いの争いではなくロイに助けを求める方法を選んだのには理由があったらしい。
「ボクが言っても耳を貸さないんです。お願いします、大佐からも言ってください。ボクもう十六なんですよ。兄さんは過保護すぎます」 エドワードの行き過ぎは純粋にアルフォンスを大切する気持ちからだ。無碍(むげ)にはできない。しかも、もし仮に殴り合いになってアルフォンスが勝利を収めてもエドワードのことだ、主張は変えないだろうし、懲りもしないだろう。 随分長い時間を一緒に過ごしたせいでそれが見越せるから、アルフォンスは唯一自分達兄弟の世界に踏み込めたロイに仲裁を望むことにしたのだ。
「エドワード、アルフォンスだってこう言っていることだし、一斤分のサンドウィッチはいくら何でも多すぎるぞ。……君がそんなに心配しなくてはならないほど、アルフォンスは頼りないか?」 ロイの言葉に、エドワードが眉を下げる。 「……そうじゃない。そうじゃなくて、」 自分の気持ちを伝えるための言葉が見つからない。 「ほら兄さん、ボクもう大丈夫だから。兄さんの言うことも分からないわけじゃないけど、『大丈夫』なんだよ」 エドワードのしゅんとした様子に、アルフォンスが言い含める。 うん、と頷くエドワードに、ロイは問題の終結を予感して胸を撫で下ろした。
が、ロイはアルフォンスを根負けさせるほどのエドワードの思いの強さを実感していなかった。
「でも、でもさ。アル、」 「もうっ 兄さん、いい加減にしなよ!」 とうとうアルフォンスの堪忍袋の緒が切れる。 「アル、だってオレは、」 「ボクもう大丈夫だって何度言ったら安心してくれるのさ。兄さんの分からず屋!」 「って、てめっ、兄貴に向かって何だ!!」 「分からず屋だから分からず屋って言ったんだ!」
ぎゃあぎゃあと盛大に始まってしまった兄弟喧嘩をロイは間に入る気もおきなくて、一度見つめてため息をついた。 いつの間にか湯気が消えてしまった今日の夕食に、ロイはもうひとつため息をついたのだった。
次の日。 ロイはほとんど無傷の弟とそうではなかった兄から、食事の量は通常にすること、そして食事を作る当番は交代制にすることにしたと報告を受けた。
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