「兄さん。研究室はどう?」
 「ん、まぁまぁ」

 アルフォンスがベッドに寝転がり、エドワードに話しかける。
 エドワードは簡素な机に向かって、時折本をめくりながら何かを走り書きしていた。





 その後  09





 明かりはエドワードのデスクランプのみ。
 広めの部屋に並べられたベッドの片方でアルフォンスがパジャマ姿で仰向けになり、枕を放り投げたりしている。


 「アルの方こそどうなんだよ。話聞いてる分には優等生っぽいけど?」
 「兄さんに心配されたくないね。旅してた時よりずーっと平和だよ。ま、ごくごく一部からはやっかみ買ってるみたいだけど」
 エドワードは余裕しゃくしゃくで苦笑して、ペンを走らす。
 このところアルフォンスは見ていて安心できる。体力も万全だし、喧嘩で敵う相手などいないだろうと、弟バカのエドワードも落ち着いていた。

 「お前のことだから体育とか女の子にきゃーきゃー言われてんだろ。青いねぇ」
 「物理と数学も入れておいてよ。あれくらい予習と復習をちゃんとすれば何とでもなるのに。……そうだ。兄さんは気になる子とかいないの?」

 ずっと微かな音がして、レポート用紙に穴が開いた。
 「興味なしっ! ってか怖いし」
 エドワードの返答にアルフォンスが笑い出す。
 「兄さんって年上だめだったんだ」
 エドワードが背もたれに肘をかけて、くるりと振り返る。
 「だめとかだめじゃないとか、そーゆーんじゃねーよ。……だって一歩間違えなくても不思議生物だぜ。未知のものに出会ったら恐怖するのが人間だろ?」

 はいはい、とアルフォンスは治まらない笑いを堪える。
 「そうして何かの拍子に本質を理解できると、あっという間に愛の対象になっちゃうんだよね」
 肩をすくめたアルフォンスに、エドワードが脱力する。
 「大佐みてー」
 「ピンポン! 大佐の受け売りでした」
 無邪気な様子に今度はため息が出る。また机に向かい、フィズに提出するレポートの構想を練る。
 「頼むから大佐みたいにならないでくれよ」





 「何だかおかしいね」
 「何が?」
 規則的なぽすっという枕を受け止める音を聞きながら、エドワードは適当に相槌を打つ。アルフォンスはまた枕遊びを始めたようだ。

 「ボクら、二人きりで会話すると昔は錬金術の話ばっかりだったじゃない? こんなふうに学校の話とか女の子の話とかしてるのって変な感じ」
 嫌じゃないけど。
 「オレも。今日同じ研究室の奴らに話しかけられてさ、最初どう受け答えしていいのか分かんなかった。だんだん小学校の頃思い出してさ。変な感じ」
 嫌じゃないけど。





 「毎日毎日びっくりすることばっかり。教科書忘れた友達に貸してあげたり、漫画本貸してもらったり、授業の下手な先生の悪口言ってみちゃったり」
 アルフォンスが言う。
 「広いキャンパスで迷子になって案内板見たり、将来の夢を語り合ってみたり、講義室で居眠りしたり」
 エドワードが言う。

 これは『普通』ということなのに、二人にとっては冒険にも近い。

 「大佐に感謝しなきゃだな」
 エドワードが肩をすくめる。
 「兄さん、それ本心で言ってる?」
 アルフォンスはその後姿に苦笑した。
 「そりゃ。だってあの大佐だぜ。まさか学校を提示されるとは思ってなかったし。正直オレ、大佐に勧められるなら士官学校か正式な入隊だとおもっ……」
 ばすんと結構な音がして、エドワードは後頭部に衝撃を受けた。
 歪んでしまった文字。エドワードは頭を抑えて振り返る。足元に落ちているのはアルフォンスの枕だった。


 「何だよ……」
 アルフォンスがベッドの上に座ってこちらを見ている。不機嫌な表情。その理由が分からない。

 「兄さん。それは大佐にも誰にも言っちゃだめなことだよ。いくら兄さんが鈍くても、大佐の気持ちに頓着していなくても、口にしちゃいけないことだよ。分かる?」
 めちゃくちゃ怒っているはずなのに静かに諭すように言うアルフォンスに、エドワードは眉を寄せた。


 「あの人は兄さんが軍に深入りするような選択肢は与えない。それはないよ。絶対にない」


 あの人というのが大佐を指しているということだけかろうじて分かる。
 どうしてそんなことが言える? と尋ねかけたエドワードは、ぷつりという音を聞いた気がした。
 アルフォンスは素早く手を伸ばし、今度はエドワードの枕を引っ掴んだ。
 制止の声にも問答無用で思い切り投げつける。安定感のない体勢だったエドワードは受け止めに失敗し、椅子から転げ落ちた。
 机の角に頭をぶつけ、涙目で悶える。何とか通常の視界を取り戻した時、アルフォンスは頭から布団をかぶっていた。
 その後はもう、何を話しかけても返事をしてくれなかった。


 エドワードは不満を抱えながら、無言でベッドに潜り込んだ。





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