その後  13





 片手でトレイを持ち、ドアを開けて中に入る。
 アルフォンスは振り向きもしないで机に向かっていた。デスクランプだけの明かり。暗くはない。
 エドワードは自然な動作で少し離れた自分の机の上にトレイを置き、カップの片方をアルフォンスの机に置いた。
 「息抜きに」
 「ありがと」
 目を合わせないままでも、律儀に礼を述べるのは実にアルフォンスらしい。
 エドワードは自分の机に半分腰掛けながら、自分の分の紅茶を一口含んで飲み込んだ。そして意を決して、口を開いた。

 「あのさ。オレが入隊を進められると思ってたって言ったのは、別に大佐が強要してくると思ったとか、オレにそう選ばせると思ったとか、そんなんじゃなくてだな……」
 アルフォンスがいぶかしげな表情でエドワードを見上げてきた。何か言いたいことがあるらしいが、さっぱり伝わらない。
 「ほら、オレ達の目的は達成されちゃっただろ。アルは病院にいたから呼び出されたのはオレだけだったんだけど、大佐がさ……辛気くせー顔しておめでとうとか、よかったなとか、もうこれで狗でいる必要はなくなったなとか言うもんだからさ。このままじゃヤバイなーと思ったわけなんだよ」
 「兄さん、ボクに何か伝える気、ある?」
 「あるある! だからだな、その」
 「落ち着いてね」
 にこりと微笑まれると、急に背筋が寒くなって頭がはっきりした。

 「オレはさ、おこがましいかもしれないけど恩返しがしたかったんだよ。でも、このままだとさっさとリゼンブールに帰されそうで。軍属じゃなくなったら後見人も降りるってことだろ? そしたら繋がりが切れちゃうじゃんか。だからどうしたら『マスタング大佐』の役に立てるか考えた」
 「それで軍に入ろうと?」
 「最初は軍にいるのはデメリットだけだし、馬鹿馬鹿しいと思ってたんだよ。でも、結局それしか思いつけなかった。だから国家資格は返上して、軍に入り直すのもありかなって。とりあえず資格だけ返上して、後は将軍に頼むとか。時間はかかるかもしれないけど確実だろ? 大佐は多分反対すると思ったから」
 「…………」
 アルフォンスは盛大にため息をついた。
 正直エドワードがそんなことを考えていたとは思わなかった。あれだけ狗であることを厭っていた兄が。

 「ボクが許さなくても?」
 「悪いけどな」
 意地悪に言ったアルフォンスに、エドワードは真顔ですぱんと即答した。
 それを見て、アルフォンスは悟った

 これは本気なのだ。真っ直ぐで、ただ一途な気持ち。それだけで自分の身など構わず、べったりだった弟の言葉も跳ね除ける。それだけ強い思い。
 何だかすごく笑いたくなって、アルフォンスは肩を震わし始めた。
 「そばにいたいから形(なり)振り構わずって、熱烈だね」
 「ばっ、か! そんなんじゃねぇよ!!」
 真っ赤になって怒鳴るエドワードとけたけたと笑うアルフォンスはもうすっかりいつも通りだった。



 「兄さんがそんなに考えてたなんて知らなかった。ボクもちょっと言い過ぎたよ」
 「……うわ。言われた通りだ」
 友人二人の言葉がよみがえる。エドワードの呟きにアルフォンスが首を傾げた。彼のカップにはまだ半分ほど中身が残っていた。
 「講義中上の空だったみたいでさ、大学の友達に問いただされたんだよ。兄弟だって言わないと分からないことがあるって。それで、どっちかが折れれば仲直りできるだろうってアドバイスをくれて。あぁ、あいつらアルのことも知ってたぞ。頭脳明晰スポーツ万能で女子受けがいい転校生だって」
 「それ、あんまり当てにならないんじゃない? ボクだって苦手科目くらいあるし、そんなに女の子にもてるわけじゃないよ」
 さらりと言う弟に、エドワードは苦笑した。
 「大佐を基準にするなよ。大佐を」

 「それで納得がいったよ。どうして兄さんが折れてくれたのか。兄さんは鈍いからアドバイスがなかったら今も一人で考えてただろうね。ボクはもう何も言うつもりなかったし」
 「……うん。オレが軽率だった。ごめん」
 しゅんとした態度に、アルフォンスは目を細めた。
 「やっと気付いた? バカ兄」

 「……つまり、大佐はオレを軍に引き入れたことを後悔しているんだろ。オレは感謝してるくらいなのに」

 「負い目があるとも言えるね」
 「お前、ずっと知ってたのか?」
 「気付かない兄さんがおかしいんだよ。で、それもお友達にアドバイスもらってやっと分かったの?」
 エドワードは首を横に振る。
 「いや。さっき通り魔事件でオレを使える時はいつでも呼び戻せって言ったら怒鳴られて。それで何となく分かった。大佐は全力でオレ達を軍や事件に近付けないように……」
 がちゃん、とアルフォンスのカップが音を立てた。
 それで、しんみりと語っていたエドワードは室温がいやに下がっていることに気付く。
 「あ、アル!?」
 「っ全然大佐のこと分かってないじゃないか! どうしてそんなことが言えるんだよっ!!」
 手に持つカップが震えて、中身がこぼれそうだ。
 きっと睨まれて、エドワードは思わず半歩下がる。けれども気を取り直して言い返した。
 「言ってから気付いたんだよっ。言っちゃったんだからしょうがないだろ!」
 「兄さん」
 またあの笑みだった。天使のような微笑で、けれども手が震えている。
 「は、はい?」
 いやに間を取った言い方が怖い。
 「ボクは今、心の底から思うよ。『このカップの中身をぶっ掛けてやりたい』」
 「やっ、やめろよ。砂糖入ってるし、染みになったらどうすんだよ!」

 「……ちゃんと自分で気付いたみたいだから今回は思うだけにしておくよ。折角兄さんが淹れてくれたものだしね」
 アルフォンスが笑顔を引っ込め、唇を尖らせてカップに口をつけたのでエドワードは胸をなでおろした。
 「よしっ、オレ達の仲は元通りだな」
 「冷戦終了ってことだね。あー体使う喧嘩よりすごく疲れた。大佐が上がったんならお風呂入ってこようかな。それとも兄さん先に入っちゃう?」
 ぐい、と伸びをして、アルフォンスは言う。
 エドワードはかなりあたふたしていたのだが、アルフォンスは計算済みだったようだ。どこか余裕が窺える。

 「いいよ。先入っちまえ。あ、アルも登下校気を付けろよ。お前はテストだし、オレは研究室と図書館に入りびたりで毎朝夕一緒ってわけにはいかないんだから」
 ごくごく真面目に言うエドワードに、アルフォンスは振り返って答える。
 「ボクは大丈夫だよ。兄さんこそ気を付けてよ。トラブルメーカーだし、足の調子も万全って言えないんでしょ。ウィンリィに診てもらう前に壊さないのが身のためだよ」
 瞬間的にスパナが飛んでくる恐怖の映像が脳裏をよぎり
、エドワードは青ざめた。
 「ははははは。肝に銘じておくよ」



 鞄からレポートの下書きを取り出してから思いついた。
 ――たまには一緒でもいいんじゃないかな? 裸の付き合いとか言うし。コミュニケーションで兄弟の絆も深まるってもんだろ。
 思いついたら即実行の性分であるエドワードはぱたんと資料の本を閉じた。そして明かりを消して部屋を出る。
 向かうところは一階の端。エドワードは意気揚々と風呂場に向かったのだった。





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二章終わり。番外編へ。