|
「すみませーん。シナモンを……」 そう言いながら財布を取り出したウィンリィは突然の衝撃を受けて転んだ。 それに驚いた店の主人がシナモンの入ったビンを片手に、慌てて助け起こしてくれる。
今はちょうど夕飯の買い物に来ている人が多くて込み合っていて、人とぶつかることは珍しくはない。けれども一言謝りもしないで、とウィンリィはそこではたと気がついた。
「……ない」 立ち上がれば、人ごみを縫って遠ざかる男がいる。ぶつかった拍子にちらりとしか見なかったが、あの帽子は間違いない。 やられた。 ウィンリィは思いっきり叫んだ。
「そこの古びた帽子被ったオヤジ! あたしの財布返しなさいっ!!」
その後 18
「大佐、緊急連絡です」 詰めていた一室で声が上がる。ロイは眺めていた地図を放って、通信機材一式がまとめられている区画に向かう。 受信機を耳にすれば、困惑した軍人の声がした。
「マスタング大佐、現場からの報告です。近くのマーケットにて騒ぎが起こっています。憲兵を動かすべきでしょうか」 「容疑者は?」 「アパートから動いておりません」 「騒ぎは大きいのか?」 「今のところ市民からの通報はありません」
ロイはしばらく思慮する。 本来ならば直ちにマーケットの騒動を収めるべきだ。しかし、近くには事件の容疑者がいる。上がそれほど重要な事件と考えていないだけで、通り魔というのは市民の不安を酷く煽る。その容疑者なのだから、できるだけ早く一時的にでも身柄を拘束できるといい。 今動けば、憲兵の存在を絶対に気付かれる。気付かれても上手くいけるか?
その時、別の通信機のランプが点滅する。 近くの軍人が受信機を取り上げる。そしてロイに言う。 「サータス通り突き当りの市場でスリがあったと市民から通報がありました。市民が犯人を取り押さえようとした混乱を騒ぎと取ったようです」
ロイは通信機に向かって言う。 「市民から通報があった。騒ぎは一般市民がスリを取り押さえようとしたもののようだ。なるべく通常通りの人数の憲兵だけを向かわせろ。軍人は動くな」
市民から通報があったのに、それで軍も憲兵も動かなかったら、それこそ警戒させるだろう。本当は騒ぎなど起きて欲しくはなかったのだが、起こってしまったものは仕方がない。 それに今の時刻はちょうど市が混んでいる。別の市場でも、つい先日引ったくりが起きたばかりだった。
取り出した時計を見て、あの子達はそろそろシチューでも作っているだろうとロイは少しばかり呑気に考えていた。
「ウィンリィは兄さんとこに戻ってて」 アルフォンスはそう言い置くと、帽子の男を追って人ごみを掻き分けて行く。自分が負うよりアルフォンスに任せた方がいいことは十分承知していたので、ウィンリィは擦りむいた膝を軽く払うと、店の主人に謝った。
「ごめんなさい。後でもう一回来ますから、シナモン取っててもらえませんか」 すると主人はビンを袋に入れて差し出した。 「今の、エルリックの片方だろう。俺ん店にはほとんど立ち寄らないけど、雑貨屋のおかみがよく話すんだ。あの兄弟にツケておくから、これ持っていきな。怪我は大丈夫かい?」
「平気です。いいんですか? ありがとうございます。もう一人財布を持っているのがいますから、今借りてきます」 ウィンリィはもう一度お礼を言って、先程兄弟と別れた場所に向かった。
「エド、よかった。財布貸して」 息を切らせて駆け戻ってきたウィンリィの第一声だった。事態を飲み込めていないエドワードはアルフォンスの行方を尋ねる。ウィンリィを追っていったはずなのに、やはり行き違いになったか。
「違う違う。財布を帽子の男に盗られて、アルが追っかけてる。お店の人があんた達兄弟のことを知ってて、お金は後でいいって言ってくれたんだけど、ちょうどよくエドが財布持ってんじゃない」 だから貸して。 手を差し出されて、ようやく納得する。
途端に周りが「スリらしいぞ」とか「引ったくりだよ」とか「あっちで取り押さえようとしてる少年がいる」とさざめき立っていることに気付く。 あまり大事にはなって欲しくないなと思いつつも、旅費や滞在している間に使う金が入っている財布を盗られたのなら仕方がない。
「何か金以外に大事なもの入れてたか?」 「ばっちゃんから頼まれたタバコの銘柄書いたメモと、機械鎧用の部品売ってる店のポイントカード」 少々脱力しつつも、「アルなら捕まえるだろ」と励ます。そうしている間にも奥の方で騒動じみていることが分かる。
ふと目がいったウィンリィの膝が擦りむけて血が滲んでいるのを見つける。 「転んだのか」 「ああ、ぶつかられた時に盗られたの。これは平気」 そうは言うものの、到底許せない。本当ならばいらない助太刀に行きたいところだが、ウィンリィを一人残していくわけにはいかない。彼女一人では持ちきれない荷物だし。
「じゃあ、ちょっと待ってろ。電話頼んでくるから」 一番近い店に飛び込んで、エドワードが何かを言っている。おそらくスリがあったからと憲兵司令部に通報してもらっているのだろう。犯人を捕まえたらすぐに引き渡せるように。 戻ってきたエドワードは、財布を丸ごとウィンリィに預けた。 「早く行ってこい。今度は気をつけろよ」 「ありがと」
ウィンリィを見送ってからはたと思う。 わざわざ電話をしてもらわなくても、さっきブロッシュ軍曹と会ったじゃないか。だったらまだ近くに軍人か憲兵がいるはずだ。 なのになぜ騒ぎを鎮めに来なかった?
エドワードは探るように辺りを見回した。
next 引ったくりみたいなスリなのかスリのような引ったくりなのか。 プロットからどんどんずれていく展開に、どうすればいいのか悩んでいました。ありがとう。踊る大捜査線。 |