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シャンバラを征く者 発
「おかえり……?」 半分破れかけた紙袋を手にして帰ってきた息子に、ホーエンハイムは語尾を疑問にした。 最近無口な息子はさらに寡黙な態度でホーエンハイムの脇を通り過ぎた。そのまま狭いキッチンで夕食の準備に取り掛かる。 「シチューかい?」 「肉ないけどな」
「……あぁ」 父が後ろから覗き込んだ途端落胆を表したので、タマネギを切る手を止めた。 視線の先にある物は分かっている。ところどころ形が変わってしまったタマネギとジャガイモ。 一度とはいえ、かなり乱暴に落としてしまったので早めに使ってしまわないと痛んだ所から腐ってくる。
「スリ野郎にぶつかられたんだ。オレのせいじゃないからなっ!」 止めた手を再び動かしながら言う。責任放棄なんて子供じみた言い訳だ。 「そうか」 「せっかく買ったリンゴまで駄目にされたんだ」 「残念だな」 「美味そうだったのに」 「掏(す)られた物は持ち主に返せたんだろう? いいことをした」 『あっち』にいた時は親らしいことは何一つしなかったくせに。 父親は幼い子をほめるようにぽん、と頭に手を置いた。
手を動かしたまま、息を吐いた。 「そいつ、アルにそっくりだったんだ」 「…………そうか」 「髪の色も声もそのまんまで。財布掏られたのに自分の手で稼いだものじゃないからって盗った奴にあげたんだぜ。アルだったらきっとそうする。あいつ優しいから。……似てるどころじゃなかったんだっ」
何でこんなに動揺してるんだろう。よりにもよってクソ親父の前で。 「……何から何まで同じで……」 「こちらの世界のアル、なんだろうな。……世界は広い。一人の特定の人物に出会う確立は天文学的数字になる。よかったな」 「……金には不自由してないみたい。いいとこの坊っちゃんかもな」
タマネギは、もう切り終わる。 次はニンジンだ。……後少し。
「また『あちら』とよく似た人と逢えるかもしれないな……エド?」
オレの中のアルはずっと十歳のままだった。 さっき会った少年はオレと同じくらいの年で、それはずっと思い描いていた姿だったからすごく嬉しくて。 でもアルとは違う人間なんだと理解すると、それはすごく……ショックだった。
顔を覗き込んできた父親に気付いて、何も言われてないのに喚いた。 「準備の邪魔だ! あっち行ってろ!!」 「……泣い」 「だ――! うっせえ! タマネギ切ってんだから硫化アリルで刺激されて痛えんだよ!!」 「でも……」 「黙れ! 何も言うな! そのまま引っ込んでろ!!」
泣くわけない。あれはアルに似てるだけ。別の人間なんだ。 姿形がいくら似てるからって……いや、何であれもう一度あの姿に会えて……よかった。 取り戻したいと願い続けた、鎧ではない笑顔。
その夜、オレは親父に引っ越すならついていくよ、と移転計画に同意した。 引っ越す、というくらいなのだから、街一つや二つの話ではないのだろう。
その方がいい。 二度と会わないように。 再びあの少年と顔を合わせないように。
「何でこんな本ばっか多いんだよっ!」 エドワードは悪態をついて積み上げられていた本の柱を蹴った。 「半分はお前のだろう」 ふう、と息を吐いてホーエンハイムは息子の方に顔を向けた。 「三分の一だ!」 しかし全体量が多いのでたいした反論にはならない。 噛み付くように言い返した瞬間、もろい柱は崩れた。
引っ越す、ということで荷物をまとめ始めた二人は頭を抱えることになる。 元々荷物らしい荷物はなかったのだ。家具も置いていくし、殺風景な部屋は片付ける前と後でもさほど変わりはなかった。 問題はその膨大な量の書籍だった。科学から魔術からこちらの世界の理論を集めた文献から、随分なものになった。 そんなことだからまとめる荷物は本くらいで、ただしその本が厄介だった。 どれを持っていくのか選別して、持っていけないものはもったいなかったが古書店に引き取ってもらうことにした。
それから数日して、エドワードは父と二人でドイツを離れることにした。
「で、どのへんに行くの?」 汽車に乗り込んでのエドワードの問いにホーエンハイムはあれ、という顔をした。 「まだ言ってなかったか」 がさごそとカバンの中から折りたたまれた地図を取り出す。 「ここがロンドン。お前が初めて来た場所だ。それで、ここがドイツ。ミュンヘンはここで、今向かっているのがここ。ルーマニア」 ホーエンハイムは指で示しながら線路の筋をなぞる。
「ルーマニア?」 聞いたことはある国名だ。ドイツより東側に二国ほど離れている。大陸性気候で四季ははっきりしていても、温度差は少なかったはずだ。 ほっと息を吐く。 「オレ、ラテン語やっててよかった……」 エドワードの呟きにホーエンハイムが笑った。
元々しゃべっていた言語が、『こちら』では英語というやつだった。オレはアメストリスから出たことはなくて、話せる言葉は一つだった。 それから移動したのがドイツだったから、はじめは言葉が通じなくて困った。 英語が分かる人もいたけれど、日常生活を送るためにはドイツ語が必要だった。 ドイツに移って二年で日常独語はそれなりに上達した。いろいろな本を読み漁って数ヶ国語は一通り理解できるようになった。音読や筆記はできないこともないけど、正しい言葉ではないだろう。 その中の一つがラテン語だった。
汽車に揺られながら会話は続く。 「大学のハウスホーファー教授が職を探してくれたそうなんだ」 「あんたがお偉いさんに向かってうっかり口すべらせたのが原因で解雇した大学の教授ね」 「………。彼もルーマニアに引っ越すらしいよ。トゥーレ協会の本部がトランシルヴァニアにあるためだろうけど」 「アヤシイ宗教かよ。あんたまだあの集会行くつもり?」 「私は魔術は信じていない」 「どーせその就職先だって協会が絡んでんじゃねーの?」 う、と詰まって、ホーエンハイムは誤魔化すように眼鏡を外して拭き始めた。 「職がないのは困るだろう。ドイツの経済崩壊は酷いし、物騒だし。ミュンヘンよりはマシかもしれないじゃないか」
へいへい、と空返事をして、エドワードは懐かしい振動に目をつむった。
next 本当のトゥーレ協会はドイツです。この話は最初から最後まで、全て創作、パラレルな小説です。アシカラズ。 ちなみに国名がワイマール共和国じゃなくドイツなのは、国境がよく分からないのと、参考にした地図が現在のものだからです。つまり、史実は難しすぎると…。 |