シャンバラを征く者  





 こうして新しい土地での新しい生活が始まった。

 親父は、魔術は信じてないのに万物に魔術的な力はあると思っている難妙な貴族の私設研究所に通い始めた。
 そのデートリンデ・エッカルトという貴族は、この街の郊外に建っている屋敷の女主人だそうだ。
 このご時世に道楽に金をかけるのだから結構な財産持ちで、しかも周りが見えていないのだろう。一般人は今日食べることで精一杯なのに。

 親父も親父だ。何でも魔方陣とかいうやつの考察で、魔物を呼び出そうとしたり異世界へ行こうとする、理論も構築もなっていないシロモノを研究させられているらしい。



 かくいうオレも、こちらの世界で初めて大学というものに通うことになった。
 正確には通わせられている、だ。
 いつまでも引きこもりで(失礼な)いても仕方ないんじゃないかと、親父がハウスホーファーという教授に口利きしたのだ。
 一応テストは受けたが、どれも別段難しくはなかった。編入試験だからかもしれない。


 初日に教授にキャンパスを案内してもらいながら話をした。
 「何か、やりたいことはありませんか? 興味のある学科があれば、他に移っても良いんですよ」
 丁寧で、良いおじさんという印象だった。
 隣りを歩きながら、最近は全く使用することがなかった敬語を頭の隅から引っ張り出してくる。
 「特にありません。失礼だと思いますけど、大学も父が勝手に教授に頼んだようなものなんです。オレ、大学で勉強したいとか思ったことないですし」
 エドワードの言葉に、ハウスホーファーは笑って応じた。気を悪くした様子は見えない。
 「それはホーエンハイム博士が言っていましたから。君がずっと独学だったことも聞きました。やりたい分野がなければしばらくいろんな授業に出てみたら良いでしょう。そのうちやりたいことが見つかるかもしれませんよ」





 それから一週間。
 やはり今のエドワードに興味が沸くだけのものはなかった。
 教授達がしゃべっていることはすでに知っていることばかりだったし、慣れないルーマニア語は気分を憂鬱にさせた。

 だからある講義中に一人で勝手にしゃべって納得して、質問してきた教授に対して、その式が途中計算から間違っていて矛盾しているし、用いる理論はこっちが正しいと他の生徒が唖然としている中でぶちまけてやった。
 しかも頭に血が上り過ぎて最終的に英語になった。その後に鞄ごと講義室から出て行くというおまけ付きで。
 半日後には大学内で波紋が広がっていた。良くも悪くも、だ。


 「やあ、エドワード君。教授陣は君の話題で持ちきりだよ」
 ハウスホーファーが話し掛けてきた時、エドワードはひそかに、こっちは良くだな、と呟いた。
 講義の合間なのか、時刻を確かめてエドワードを褒めた。
 「すごいね。あの学科は難しい割りに進度が早くて、たまに私らでも間違うことがあるんだよ。気付く頃にはもう次のところに進んでしまっているらくてね」
 優しい笑みに、エドワードは気恥ずかしくなってうつむいてしまいそうになる。
 無理矢理に顔を上げた。
 「別に。嫌な感じだったし、お前分かんないだろうって顔で当てられたから、癪に障ったんだ、じゃなくて、です」
 いいよいいよ、と口調を気にもせず、別れ際には満面の笑みで手を振っていた。
 「エドワード君。私の講義にも出席してくれ。ぜひ意見を聞きたい」
 自分は随分と気に入られたらしい。
 そう思って、ため息をついた。


 やりたいことが見つからない。やれることが分からない。こちらの世界には錬金術もない。
 どうして自分がここにいるのかも分からない。最近は自分が本当に『あちら』の人間だったのかどうかも疑わしい。
 でも、確かにアルはいたんだ。ウィンリィも、大佐も、中尉も。
 会いたい、けど……。心に穴が開いてる感じ、なんてな。





 「エドワード君!」と呼ばれて意識を戻す。
 そうだ。ハウスホーファー教授の講義に出てたんだ。周りの生徒は終了のチャイムに席を立っていくところだった。
 感想を聞きたいと言われて、一応教授のおかげもあって大学に入れてもらったので、断るわけにもいかなかった。それで講義を受けたのだ。

 ハウスホーファー教授の学科は地理学で、ヨーロッパの国々の地形やそこから推測できる独自の習慣を主に研究しているらしい。
 オレはこの世界のことすら、いまだによく分かっていない。しかも『あちら』にいた時も関わったことのない分野だったから面白そうかな、と思ったけど、やっぱり打ち込めそうなくらいの興味は湧かなかった。
 どこか空虚。そこか冷めてる。



 「どうだろうか。エドワード君もやってみないか?」
 「はあ、でも……」
 どう断ろうかと考えあぐねていると、ふいに後ろからパタパタと誰かが走ってくる音がした。

 「ハウスホーファー教授!!」
 呼ばれた教授が視線をオレの後ろに移す。
 「また君か」
 そう言いながら教授は困ったように笑って、手招いた。
 「はい。今日やったところなんですけど……」

 オレが振り向く。
 相手が口を開く。
 オレ、何のために引っ越したんだっけ?

 「あっ!」
 諦めた。少年は変わらない濃い金色の短髪で、目線がオレより少し高かった。
 「あの時の!」
 そう目を丸くしているこの少年に、オレは一度会っている。
 前に会った場所は、ここから数国分も離れている。あの国から出れば、もう鉢合わせる不安がないと思ったから、憎たらしいクソ親父にくっついてまで来たっていうのに。

 「知り合いかね?」
 ハウスホーファー教授が言う。
 「はい。実は」と目の前の少年が話す。男のことは誤魔化して、だ。何だかオレが拾った財布を届けた、みたいに言った。捏造もいいトコだ。
 「あ、ごめん。あの時は名前も聞かないで」
 少年が謝って、手を差し出す。全く、オレは何をやっているんだ。

 「ボクはアルフォンス・ハイデリヒ。この間は本当にありがとう」
 仕方がないので、どんな時でも望んでいた温かいだろう手に触れる。
 ちゃんと自然に振舞えているだろうか。名前まで、同じだなんて。
 握った手は、昔と少しも変わらなかった。

 「……エドワード・エルリックだ」
 内の動揺を気取られないためには、そう答えるのが精一杯だった。





 
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 ハウスホーファー教授の地理学はでっち上げです。
 実際は地政学ですが、これはドイツ、ナチに深く関わってくる地域限定の学問なので、ルーマニアに越してきたこのストーリーではあまりにおかしすぎると思いました。