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冷気で色を失った中庭を歩いている時だった。
「おや、エドワード君じゃないか。冬季休業なのに……ああ、図書館に用かい?」 ハウスホーファー博士がにこりと笑った。
シャンバラを征く者 耽
「大学はどうだい? やはり君には物足りないのだろうか」 校内の廊下を並んで歩きながら、エドワードは何かを思い出したように苦笑しながら、いいえと首を振る。 「最近は……忙しくて、楽しいです。ご心配をかけて、すみません」 曖昧にだが正直な言葉に、ハウスホーファーは少し驚いた顔をした。 「楽しい、か。それはよかった。ほら、休業中でこうして会うことも稀だろう」 ハウスホーファーは微笑んだ。
図書館の前で別れる時、ハウスホーファーが言った。 「エドワード君、何か夢中になれることを見つけられたのかな。この間までとは全然違う顔をしている。まるで、水を得た魚のようだよ」 不思議そうに、それでも温かく言うハウスホーファーに、エドワードは一瞬驚いて動きを止めた。しかし、次の瞬間にはもう目を細めていた。
「オレ、やっぱり錬金術師なんですよね」
「ん、エドワードは一緒じゃないのかね?」 部屋に入ってきたアルフォンスに、マスタングが顔を上げた。 マフラーと手袋を外して、コートをかけながらアルフォンスが答える。 「エドなら図書館に寄ってくるそうです。俄然やる気を出しちゃって。『あれ』をぱらぱらって見るなり、子供みたいに目を輝かせるんです。ボクには何が書かれているのかさっぱり分からなかったのに、ほんと不思議な人ですよね」 アルフォンスは暖炉の近くに椅子を寄せて深く腰掛けると、カバンからクリップで留められた数枚の紙を取り出した。びっしりと文字で埋まっているそれを真剣に読み進めていく。
「それは?」 マスタングが興味深げに尋ねた。 こうしてゆっくりと喋っていられるのもホークアイが来るまでの少しの時間で、マスタングの手はここぞとばかりに完全に止まっている。 「エドが解読してくれたものです。……実はあの日記がボクの両親が書いたものだということも、ボクが解読できた分だけでも非科学的な内容ばかりだということも言っていないんです」 「なぜ?」
「あなただって同じです。こんなに科学が発達した時代に、」 「しかし、君のご両親が命をかけて残した物だ」 真面目に言うマスタングに、アルフォンスは嬉しそうに微笑んだ。 「エド、ものすごく夢中になってるんですよ。あんなエド見たことなくて、驚いたけど嬉しい。前は……全然執着なくて、すぐふらっと居なくなっちゃうんじゃないかって。この頃はほとんどエドが解読して、それをボクが読ませてもらっているんです」 楽しちゃってずるいですね、ボク。 困ったように笑うアルフォンスに、マスタングも微笑んだ。
「エドって本当に不思議な人です」 エドワードの字で埋め尽くされた紙を、丁寧にめくる。
「人が宇宙を目指す時代に、魔術に夢中になるなんて」
うわ、知らない単語だ。辞書辞書。 えっと、図形はほとんど同じだからこれは応用で。ああ、でも等価交換の原則は働かないのか。 質量保存の法則はあるくせに。ややこしい。ってか何だこの記号! いや待て、こっちでも石は肉体を、月は精神を表すし。 そうそう、錬金術記号に関しては差異はないんだった。 あー! 何でここにルーン文字がくるんだよ!! 辞書っ。
ぶんどる、という表現しか合わないような動作で、エドワードは舌打ちして傍らに積み重ねてあった擦り切れた辞典を引き寄せた。 乱暴に頭を掻いたせいで、ポニーテールに結った金髪がほつれてきている。 思い通りに進んでいないのは傍目にも明らかだったが、そういう状況でさえ、エドワードは楽しんでいるようだった。 アルフォンスはふう、と息をつくと、ホークアイの様子を窺った。 ホークアイがアルフォンスの言わんとしていることを察して、仕方ないという様子で苦笑する。 「あまり詰めても効率が悪いだけです。休憩にしましょう」
「エド」 アルフォンスに肩を叩かれて、ようやく集中が途切れた。 エドワードの様子に、マスタングが呆れる。 「君の変貌ぶりには驚くよ」 「熱心さと集中力に関して言えば、助教授に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいです」 ホークアイの辛辣な言葉にマスタングがショックを受ける。しかし立ち直りは早く、立ち上がって伸びをする。 エドワードの一角に寄ると、マスタングの机の上に負けず劣らずの散乱したところから、紙を数枚抜き出した。 筆記体で丁寧に書かれたそれは、他の紙とは違っていたので目についたのだ。
「……リゼンブールから、セントラルまで乗り継ぎ……。旅行記?」 瞬間、エドワードが声にならない声を出し、マスタングの手からそれをひったくった。 「ななな、何っ、勝手に! おいっそっちの返せよっ!!」 マスタングが残った数枚を持ったまま片手を上げれば、エドワードにはどうしたって届かない。手を伸ばすがひょいとかわされてしまう。 「どうしたんだ。ムキになって。……リゼンブール。聞いたことがない地名だな」 「てめっ。楽しんでんじゃねーよ! このっ」 わざと音読するマスタングに、エドワードが掴みかかった。その瞬間、ひゅっと風を切る音と小気味よい音がして、二人は固まった。 床にフォークが刺さっていた。
じりじりとゆっくり振り返ると、唖然としているアルフォンスと、にっこり笑ったホークアイが座っている。 「「すみませんでした」」 二人は素直に謝った。
「すまない。君が取り乱したのが珍しくて、つい」 「ったく」 「マスタング助教授、それエド用の解読書なんです」 エドワードが一見旅行記に見えるそれをまとめて、とんとんと揃えていると、アルフォンスが言った。 「解読書?」 マスタングが怪訝そうに尋ねると、エドワードがふて腐れてそっぽを向いたまま言葉を繋いだ。
「そう。この日記って閲覧許可が必要なくらいの重要錬金術書みたいなもんなの。だからアルフォンスにも解読書を読んだら処分してもらうように頼んでるし、これも暗号化してるんだ」 「暗号化?」 「オレ以外が読んでもちょっとやそっとじゃ解読できない。普通の旅行記だと思うだろうし」 「それはこんなにすぐにできるものか?」 マスタングが感心して言う。 エドワードはすでにソファで紅茶を飲んでいる。
「昔さ、やってたんだよ。そういうの」 エドワードはホークアイが用意したクッキーを頬張った。
「……雪ね」 エッカルトは窓際に立ってちらほらと舞い落ちる白片を眺めていた。 夜の暗闇に、うっすらと積もった雪が月明かりに仄白く浮かび上がっている。 エッカルトが興味を無くしたようにくるりと窓に背を向け、部屋の暖炉に歩み寄る。暖炉の上に飾られている写真立をそっと手に取った。 「……どうして。……どうして、」 ゆっくりと指でなぞる。 まだ幸せだった自分。愛する夫と、かわいい息子。 そのどちらも、今はそばにいない。そう、そばにいないだけ。また、必ず会える。その時は、近いはず。
「失礼致します」 ハウスホーファーが目を伏せて立っていた。 エッカルトは写真立を元あった場所に置き、顔を隠すようにしてまた窓際へ戻った。 頬を拭った動作を見なかったことにして、ハウスホーファーはうながされるまま部屋の中央に移動した。
「気にしないで。何か報告があるって聞いていたけれど。何かしら?」 「アルフォンス君のことです」 「あの子が何か? 引き取ってからも面倒事など一度も起こさない、礼儀正しいけれどつまらない子よ」 「最近特にエドワード・エルリックと親しくしているようです。史学科助教授のロイ・マスタングの研究塔には以前から出入りしていましたが、エルリックも近頃頻繁に。エルリックに関して言えば、冬季休業に入る辺りから様子ががらりと変わりました」 「どんなふうに?」 「……何というか。以前の無執着が嘘のようで。大学の図書館にも毎日のように通っているようですし、何事かの研究に夢中のようです。私の思い過ごしならばよいのですが、」 もしやあの夫婦の研究内容を。
エッカルトはふっと笑った。 「ありえないわ。あの夫婦は学会に発表もしなかったし、所有物のほとんどはロンドンの戦火で失われた。かろうじて残っていた研究内容の書類はあの子が全て渡してくれたわ。それがあの子を養う交換条件のようなものだったし」 「しかし、もし……」 「家族を失うつらさはあなたには分からないわ。日記くらいは許してあげるべきよ。あの子にはそれくらいしか残っていないのだから」 部屋の空気は微動だにしない。
「それよりも。ホーエンハイム博士は何かおっしゃって?」 「『もう間近』と」 「ならいいわ。……ねえ。博士には息子しか家族がいないのよね」 「はい」 エッカルトは一度目を伏せ、そしてうっとりと微笑んだ。 「じゃあ、秘密を秘密で終わらせるための犠牲は二人で済むのね」 ハウスホーファーは無言を返した。
「二人の命で、二人に会える。全く、理に叶っているわ。『等価交換』という言葉は」
雪が、はらはらと舞い散る。 暖炉の薪がぱきりと音を立てて折れ、崩れた。
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