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ほとんどの写真は戦火で燃えてしまった。 三人で幸せに暮らしていた家も、思い出も、何もかも失った。 あの頃を偲ぶ物はこの写真だけ。
エッカルトは写真に写っている人物の輪郭をゆっくりとなぞった。
シャンバラを征く者 繋
「こんな時分にいかがなされたのですか?」 屋敷の敷地内、研究所に続く暗がりの廊下でエッカルトは呼び止められた。 「ヘス……」 ヘスと呼ばれた男は、この研究所に一番出入りしている研究員だ。今は魔術に詳しいホーエンハイムが加わっているので、彼の補佐をしている。 人のいいこの男は、同僚の分もなのか、夜食と思われる食料を抱えていた。 夜も更けている。いくら屋敷主だといっても、女性が一人で歩いているのは非常識だ。見れば、夜着に一枚羽織っただけの姿。 ヘスは呆れるようにため息をつき、苦笑する。 「研究所にいらっしゃるつもりだったのですか? 仕方がない。早く行きましょう」
「……夢を見たの」 研究所までの道のり、エッカルトは浮かされたように呟いた。 「あの子がね、ママって呼んで抱きついてきてくれたのよ。あの人も、よく頑張ったねって。門さえ開けば、夢じゃなくなるのに。きっと」 「ええ、門さえ開けば。あなたの夢は現実になる」 噛み締めるように言うヘスは、前を歩いていて、表情が見えない。けれども、それはただの慰めで言っているわけではない。 エッカルトが言う。
「あなたは、誰を取り戻したいの?」 ヘスの足が止まる。かさりともしない音のない世界で、エッカルトはその後姿を見つめた。 しばらくの間があって、ヘスはゆっくりと振り返る。 「……愛する人を」 肩をすくめるように、泣きそうな顔で呟かれた言葉は、震えていた。
「あなたも戦争で失ったの?」 静まり返った湖のような瞳が、ヘスを捉える。 「……ええ。敵軍に捕らえられ、辱めを受け、殺されたと。私はその時そばにいてやれなかった。兵士として前線に送り込まれていましたから。……守ってやれなかった。だから、もう一度会いたい。会って謝りたいのです」
「私に手を貸してくれる人はみんなそう。傷ついた人達ばかり。戦争で幸せになった人なんてどこにいるのかしら。戦争は奪うばかりで大嫌いよ。戦争さえなければ、あの人も私の子供も死なずに済んだのに」
研究室は暖かかった。暖の効果だけではない。 この組織は、エッカルトのためだけに存在しているのではない。 未知のものを追い求める者、同じように失った誰かを取り戻したい者、この世界ではない楽園を望む者。理由は様々だが、エッカルトの痛みを理解する者は多い。
「ホーエンハイム博士」 エッカルトの呼びかけで、ホーエンハイムは顔を上げた。 「ああ、いらっしゃっていたのですか。申し訳ない。夢中になりすぎていたようだ」 とぼけた感じで頭を掻くホーエンハイムに、エッカルトは笑みを浮かべた。 「構いませんわ。随分険しい表情でしたけど、何か問題でも?」 門を開くのは『間近』だったはずだ。研究は順調だし、早ければ年が明ける前に試すことができるかもしれないと報告を受けていた。 「エッカルト夫人、ハイデリヒ夫妻の残した研究内容はこれで全てですよね」 エッカルトは少しだけ考えて、頷く。 「ええ。もし何か足りなければ、戦火で失われてしまったのだわ。論文や研究書、備忘録は全てお渡ししましたもの。支障が?」 心配するエッカルトと研究員に、ホーエンハイムがメモを見ながら首を傾げる。
「……門を開くためと伝わる魔方陣を手に入れたと走り書きにあるのですが、陣がどこにも書き記されていないのです。私が書き直してみても問題ないかと思いますが、調整が必要になればその分時間がかかりますし、危険が伴う可能性も。どこかに魔方陣を描いた物は残っていませんか?」 エッカルトは慎重に思考していく。 残ったものは全てホーエンハイムが目を通した。『全て』だ。 全て?
「……っ」 エッカルトは思わず親指の爪を噛んだ。 全てではない。 『日記』 日記にしか見えなかった『あれ』がそうだとしたら? あれは、ぱらぱらとめくる程度しか確認していない。もし魔方陣が描かれていても気付いていなかったとしたら? ハウスホーファーの言葉がよみがえる。 考えすぎだと一笑に伏した疑い。それが本当だとしたら?
「……心当たりが、ありますわ」 エッカルトが夜着を翻して、退出する。 「早急に、届けさせます。期日は予定通りということでよろしくお願いします」 顔色の悪いエッカルトを労わるように、ヘスが付いていく。
ホーエンハイムは何事かを深く考え込んでいた。
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