|
エドワードが散らかしていたメモやノートを片付けるのを待っている間に、マスタングは暖炉の火を消した。 「あー、何で消すんだよ」 「これから天候が崩れるらしい。今日は早く家に帰った方がいい」 エドワードが顔をしかめたが、ロイは気にせず灰を均した。
シャンバラを征く者 襲
しぶしぶといった態度でエドワードは荷物をまとめる。全部を鞄に詰め込んだところで、思い出したように例の日記を再び取り出した。 「なぁ、これあんたの部屋に置いててもらってもいい?」 「構わないよ」 マスタングは少し怪訝な表情をした。 それはそのはずだ。エドワードは日記の解読を一人で進めていたし、その解読書はアルフォンス以外には絶対に見せなかった。 まぁ、これを読んだところで日記以外の何かが記されていると気付く人間などいないとの考えだろうと、マスタングは思ったのだった。
鞄を片手に、日記をもう一方の手に抱えて、エドワードはマスタングの隣を歩く。廊下はとてつもなく冷えていた。 「うー寒ぃ」 「ホークアイ講師がホットミルクでも用意してくれているだろう」 途端に「げ」とうめいたエドワード。マスタングは合点して言った。 「君は牛乳が大の苦手だったな。だから……」 だから、の先は言わせない。肩をすくめて苦笑したマスタングをぎっと睨みつけた。 「あんたのコーヒーと交換な」 「少しは飲みたまえよ。身長は二十歳の朝まで伸びると言われているし」 「本当かっ!?」 「一般的な迷信だ」 「〜〜っ!」
そんな言い合いをしていたものだから、二人は室内の微かな物音にも異様な気配にも気付いていなかった。 マスタングがドアを開いて、そこで初めて目にした。後ずさることもできないくらいに固まった。
壁の本棚からは中身がごっそりとなくなり、床に散らばっていた。 窓が開け放たれ、暗雲垂れ込める空通りに刺すような風が吹き込む。 物が散乱し、その奥に人影があった。
男。黒服に身を包んだ、見知らぬ男。
思考が停止する。 誰だ? どこから入ってきた? 何をしている? 思考同様フリーズしてしまった二人に向けて、男が俊敏な動作で銃を取り出し、向ける。引き金を引くのに迷いはなかった。
もし『この世界』でなければ、不審人物を目の当たりにしただけで驚いて動けなくなるということはなかったし、『鋼の錬金術師』は相手が撃ってくる前に両手を合わせたか蹴りの一つでもお見舞いしただろうし、『焔の錬金術師』は呆然と突っ立ったままということもなかったはずだ。 けれども、ここは違う。 この三年で誰かとやり合うことはおろか、機械鎧をなくして義肢であるエドワードは以前のような動きはできなかったし、もちろん錬金術が使えない。 ロイ・マスタングも容姿こそ酷似しているものの、軍人ではない。ただのいち助教授にすぎなかった。
エドワードはとっさに鞄も日記も放り捨て、マスタングの右腕を思い切り引っ張ろうと手を伸ばす。しかし、その一瞬早くマスタングがエドワードを庇うように抱き込めた。視界を塞がれ、状況が把握できなくなる。 耳をつんざくような衝撃が鼓膜に叩き込まれた途端、糸が切れたようにマスタングが身体ごと倒れ込んできた。 体格差もあり、エドワードには支えることができなかった。バランスを崩して二人ともが倒れる。エドワードは受身も取れずに床に身体を強く打ち付けることになった。
詰まった息を咳でやり過ごし、エドワードは被さる身体を押し退けた。 「…………っロイ!」 名を呼んだエドワードが悲鳴を上げた。 マスタングの額といわず頬といわず、血に染まっていた。 「おいっ! しっかりしろよ……」 黒服の男のことなどすっぽ抜け、エドワードは真っ青になってマスタングの身体を揺さぶる。反応はない。 「……やめろよ、」
どこから出血しているのかも分からないほどに流れ出している。 「おいっ! ロイ!!」 自分の手さえも染めつつある赤。 とにかく止血しなければと顔を上げたエドワードの後頭部に衝撃が落ちる。ぐらりと視界が歪んで床に身体と頭をしたたか打ちつけた。
薄れていく意識の中で、エドワードは見た。 男が自分の側らから一冊の本を拾い上げるのを。
湯気の立つ三つのカップを用意したところで、ホークアイは気付いた。 今日は全てミルクティーにしてみたのだが、これは失敗だった。少し前からこの研究室に出入りするようになったちょっと変わった「あの子」は大の牛乳嫌いだった。 以前アルフォンスがミルクティーを飲んでいるのを見て「よくそんなものを飲める」と言っていたから、嫌いなのは間違いない。うっかりしていた。 「少しくらい遅くなっても大丈夫でしょう」 ホークアイは時刻を確かめ、もう一度湯を沸かし始めた。
ミルクティーも温め直し、これは二つのカップに。特別に用意したレモンティーはもう一つのカップに。 サンドウィッチとティーをトレイに乗せた時だった。 最近ようやく耳にしなくなった銃声。 建物内で発砲されたことは明らかな音量。ホークアイは息を呑んだ。年の暮れに研究室に足を運んでいる人間などそう多くはない。 まさか、と思いつつも、ホークアイは一室を目指して駆け出した。
next |