ゆっくりと目を開ける。
 目に映るのが天井だと理解して、それから後頭部の鈍い痛みと目の回るような感覚に襲われた。





 シャンバラを征く者  焦





 「よかった。目が覚めたのね」
 顔を覗き込んできたのはホークアイだった。ほっとした表情を隠しもせずに表す。やはり見慣れない。
 「……オレ、」
 一瞬どうしてこんなところにいるのか分からずに戸惑う。一目で病室だと分かる殺風景な個室。随分時間が経ったのか、影が伸び始めていた。

 …………そうだ。部屋に戻ろうとしたら変な奴がいて。銃を。向けられたのは……。血が。たくさん。端正なその顔を濡らした赤。
 ふと手を見れば、一度は拭われたのだろうが、爪や指の間に血がこびり付いていた。

 「っロイは!? オレをかばって、それで……」
 飛び起きたエドワードをホークアイは押し止めた。
 「大丈夫。まぶたの近くを少し抉られただけで、命に別状はないわ。今は縫合の手術を施されて、別室で眠っているから」
 ひとまず安堵に胸を撫で下ろす。

 それまでホークアイの後方にいたナースが問い掛けてきた。
 「脳震盪を起こしていたようです。眩暈がするとか、吐き気がするとかはありませんか?」
 目の回るような感覚は少し残っていたが、エドワードはそれを告げずに大丈夫だと返答した。ナースがドクターを呼んで来る、と退室したのを見計らうように、ホークアイが尋ねた。


 「一体何があったの? 私が銃声を聞いて駆けつけた時には、あなた達二人はもう倒れていたのよ。部屋はあの通りだし、助教授は怪我をしているしで、とにかく病院に搬送するのを優先させたの」
 困惑の色が濃く、何が起こったのか見当もつかないのだろう。エドワードでさえ、現状を把握しきれないでいるのだから。

 「あなた達は犯人と鉢合わせたのでしょう? 部屋が荒らされていたし、物取りかと思ったのだけれど、原稿も金庫も取られていないのよ。命を狙われるような人ではないし、被害届を出すにしろ、あの人の判断を待とうと思って」
 「……よかった。じゃあリザさんはあいつと会ってないんだ」
 混乱していた頭の中が整然としていく。
 ホークアイを傍らに、エドワードはよみがえってくる記憶に顔をしかめた。

 ロイ・マスタングの研究室に入り込んでおきながら、彼のものは何一つなくなっていないという。当然だ。犯人が奪っていった物は一見何の変哲もない日記一冊。もちろん助教授の物ではない。
 ――アルフォンスの両親が遺した研究書。



 「……まずいな」
 小さく呟いたエドワードは、ホークアイが聞き返したことに「何でもない」と答えた。
 「ホーエンハイム博士にはもう知らせてあるの。少し時間がかかるとおっしゃっていたけれど、日没までにはいらっしゃると思うわ。本当に、こんな怪我をさせてしまって……」
 違う。巻き込まれたのではないのだ。
 「違うんだ、巻き込んだのはオレのほう……」

 「エドワードっ!!」
 突然割り込んできたホーエンハイムに、エドワードは勢いを削がれて脱力し、ホークアイは丁寧に頭を下げた。
 ホーエンハイムはズカズカと駆け寄ると包帯を巻かれた頭をじっくりと見た。そして一通り具合を確かめるとやっと息をつき、表情を緩めた。
 「無事でよかった」
 昨晩の話が本当なら、エドワードも命を狙われる可能性がある。それこそ、先に息子殺してしまえば、守るもののなくなった父親などいつでも消せるのだから




 「それで、マスタング助教授は」
 「何針かは縫う必要がありましたがそれだけです。申し訳ありません、学内にいながらこんなことになってしまって、」
 「いえいえ、昨今は物騒ですし。ともかく大事に至らなくてよかった」
 エドワードは業を煮やしてベッドから勢いよく降りた。こんなことをしている場合ではないのだ。
 掛けてあったジャケットに腕を通し、残っている眩暈を瞬きで振り払う。
 病室から逃げ出そうとするエドワードをもちろん二人が止める。
 「エドワード君、今ドクターが来るから……」
 「どこに行くんだ、エドワード」

 「オレは何ともない。医者なんか必要ない」
 キッと睨み付けるエドワードに、二人が呆気に取られる。その一瞬の隙を突いて、ホーエンハイムの脇をすり抜ける。
 「エドワードっ!」
 ホーエンハイムが慌てて追いかけた。



 「待て、エドワード!」
 病院のエントランスを出てすぐの路地で、ホーエンハイムはようやくエドワードの腕を掴んだ。
 院内は入り組んでいて走るに走れなかったことと、エドワードが眩暈のせいで全力疾走できなかったことが、ホーエンハイムが追いつけた理由だった。

 「どこに行くつもりだ。一体何があったんだ?」
 振りほどこうとした腕は外れず、エドワードは諦めて肩を落とした。
 「……盗られたんだ」
 ぽつりと呟かれた言葉は要領を得ない。
 「どうしよう。ロイの研究室に忍び込んだのに助教授の物は何一つ盗まれてないんだ。盗っていったのはオレが貸してもらっていたアルフォンスの日記なんだよ」
 エドワードの表情が強張っていく。

 「アルフォンスはここ何日も、何の言伝もなく研究室に来てない! あいつに何かあったのかもしれない。あの日記はやばいんだ。あの中身は本物の錬金術書なんだ。書かれているほとんどの図形はデタラメでも何でもない! 時間差も時空の歪みも物体移動も念頭に置かれた構築式なんだよ!!」

 本来ならば何も知るはずのないホーエンハイムは、何のことを言っているのか見当さえつかなかっただろう。
 エドワードが日記のことを口にしたのはこれが初めてだったし、それ以前にエドワードが再び錬金術、魔術の類の研究をし始めていたことすらホーエンハイムに知らせてはいなかったのだから。
 けれども、ホーエンハイムはただ眉を寄せ、エドワードの言葉の端々から読み取った。


 「……迂闊だった」
 苦々しく目をそらしたホーエンハイムを、エドワードが幼い表情で見上げた。
 「エドワード。アルフォンス君のファミリーネームは……ハイデリヒか?」
 下手に顔を知っているものだから、自己紹介もままならなかった。
 エドワードは頷いた。
 「自宅は?」
 「確か、郊外の屋敷。両親が死んでから養子になったって。だからそこを探そうと……」

 ホーエンハイムは告げた後、エドワードが駆け出せないようにさり気なくを装って手首と腕を掴んだ。
 そして一息に言う。

 「この町には屋敷と呼べるものは一つしかないんだ」





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