裏口から忍び込むようにして敷地内に入り込み、研究所へと繋がる小道を横切った。
 少しだけ積もった雪から覗く枯れた草。わずかに残った緑葉の蔦(つた)が遠くに見える古びた建物の壁に貼り付いているのが見えた。






 シャンバラを征く者  侵





 ホーエンハイムの後を追いながら、ふと落とした目が地面に留まり、エドワードは眉を寄せた。
 研究所は近いのに、人の気配がない。人の出入りした形跡がなかった。
 新雪の絨毯には自分達の足跡だけ。物音一つなく、吐息さえ重く静かに消されてしまいそうだ。街からは切り離された異様な空間。
 エドワードはさらに目元を険しくさせ、先を行くホーエンハイムを呼び止めた。

 「親父、何か変だ。警備の人間もいないみたいだし、」
 「年も暮れだからなぁ。皆、明後日の新年を家で過ごそうと暇をもらっているんだよ。いるのは多分研究員だけだ。彼らには休日がないし、よく篭もっているから」
 エドワードの意見に半分同意しつつ、答える。
 「そういうことは早く言えよ。もし見つかったらヤバイだろ。オレは不法侵入だし、あんたは命狙われてんだから!」
 がしがしと頭を掻いて、毒づいた。

 空を見上げれば夜の帳が下り始めている。
 日記と解読書を奪われてから三時間は過ぎていた。



 「オレはアルフォンスを捜して、出来れば日記と解読書を取り返す。まさか陣を描いてはいないと思うけど、万が一ってこともあるし。……親父は、」
 言いよどんだエドワードに、ホーエンハイムは微笑んだ。
 「私は研究所に向かい、他の所員を足止めする。大丈夫、いくら何でもすぐに殺されはしないさ。扉はまだ開いていないようだし、逃亡の計画もばれてはいない。彼らを説得……か、方便でも使って屋敷内には近付けないようにしておこう


 相手はすでにホーエンハイムの必要性を失いかけている。のこのこと戻ってきたのだ、運が悪ければこのまま捕らわれる危険性もある。それに気付いているからこそ言葉を濁したエドワードにホーエンハイムは肩をすくめて見せた。

 「平気さ。なるようになる……はちょっと違うな。あぁ、『何とかなるさ』だ。屋敷の中にはほとんど入ったことがないんだ。力になれなくてすまない。……気を付けてな」
 「あんたこそ」
 二人は互いに背を向け、揃いの金髪をなびかせてそっと駆け出した。










 首筋の後ろがちりちりする。嫌な感覚だ。
 よくトラブルを起こしていた……いや、トラブルに巻き込まれていた昔には度々感じることがあった予感というもの。

 例えばテロリストと同じ列車に乗り合わせた時、例えば街中で何かの事件で指名手配中の人間を見かけた時、例えば何か良くないことを企んでいる奴が近くにいる時。
 無意識にこの感覚に頼っていたこともある。それくらい、当てになるもの。

 神経が研ぎ澄まされるような感じがして、五感が鋭くなる。
 静まり返った邸内。自身の発してしまう音を極力少なくし、突き当たった廊下を勘だけで左に曲がる。

 一人の人間を外から完全に遮断する場所はどこだ。
 アルフォンスは養子だ。自室もあるだろう。けれどもそこは違うと思う。その部屋から出られないとしても、道具はある。抵抗されれば厄介だ。

 だとすると…………。
 こういう古い館にはあるものだ。地面の下に、もう一部屋。
 灯りも乏しく、特定の人間の自由を奪うためだけに作られた部屋。

 まさか養子とはいえ、自分の子供に当たる人を地下牢には入れないだろう、という楽観視を排除する。
 ありえない、何てことはありえない。
 階下への階段を見つけ出したと同時に、エドワードは無防備な人の気配を感じ、死角になった隅へと身体をぴたりと寄せた。





 簡素ではあるが、スカートの裾を揺らしながらこちらに向かって来たのは女性だった。一瞬エッカルト夫人かと過ぎったが、ホーエンハイムから夫人の容姿の特徴を教えてもらっていた。
 若い女性の瞳の色は青ではなく、茶だった。

 屋敷の者と思われる彼女は確実にこちらへと近付いてくる。
 地下へ下りても牢の鍵がないのは厳しい。願ったりの状況だが、見知らぬ侵入者の言うことを聞いてくれるはずがない。
 彼女が地下に下りた後、後ろから忍び込むことは無理だった。ここから階段までは近過ぎる。気付かれない自信がない。

 ごめん。

 エドワードは内心で謝り、通り過ぎ様に目があった女性の首筋に指を揃えた片手を振り下ろした。
 女性は目を見開いただけで、声を上げることもなく崩れる。エドワードは抱き止め、隅に持たれ掛けさせた。
 「人を気絶させる時はこうやってやるんだよ。ったく思いっきりやりやがって」
 エドワードは痛む頭をさすりながらぼやいた。



 ぎこちない手でスカートのポケットを探る。そして指先に当たったものを引き出す。
 万年筆と無地の羊皮紙。
 首を傾げつつ、もう片方のポケットに手を差し入れて、目当てのものを手に入れた。
 地下室と、牢のものと思われる鍵束。

 エドワードは駆け出そうとして、足を止めた。
 ジャケット姿になると、脱いだコートを気を失っている彼女へと掛けた。外は雪が降るほどに寒い。廊下も例外ではない。
 これでよし。
 エドワードは暗い中、足元に注意しながら階段を駆け下りた。





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