「本当にいいタイミング。自分の研究結果を目の当たりにできてあなたも嬉しいでしょう。そうは思わなくて?」
 エッカルトの高笑いを二人は呆然と見ていることしかできない。





 シャンバラを征く者  開





 エッカルトがゆっくりと歩を進め、描き終えられた陣に近付く。エドワードはどこかに不備があるのではないかと陣を見回したが、淡い期待は裏切られた。
 「……やめろ。あんたはここまでして何がしたいんだっ」
 絞り出すような声に、アルフォンスは少しだけ驚いて振り返る。エドワードはエッカルトを凝視していて、もはや他のことは目に入っていないようだった。

 「ホーエンハイムの息子、あなたは分かっているでしょう。アルフォンス、これはね、楽園への通り道になる魔方陣なのよ。あなたのご両親が残してくれた、完璧な陣」
 「……シャンバラ、へのゲートだと?」
 アルフォンスは目を見張る。両親の研究は現実的なものではなく、伝説のようなものだと思い込んでいた。そんな非常識なことを本当に実現させようとする人間がいるなんて。
 混乱が収まらないうちに、隣にいたエドワードが前に出る。エッカルトの姿はエドワードと重なって見えなくなり、エドワードも後姿のみで表情は全く分からなくなる。
 アルフォンスは何だが取り残されたような気分になった。一線を画して、次元が違うような。



 「もうやめろ。……シャンバラなんて理想郷はないんだよ!」
 叫ぶように言ったエドワードの言葉に、エッカルトの肩が跳ねる。
 「もしあちらの世界と繋がったとしても、それは楽園なんかじゃない。あっちの世界だって戦争も差別もあった!」
 握り締められた両手は小刻みに震えた。
 「……どんなに似てても、自分の知っている人とは違うんだ!」

 「それでも。いいえ、そんなの構わない! 私はもう一度会いたいのよ。あの人に、あの子に。戦争に奪われたものを取り戻したい! 幸せをやり直したい。それを望んでどこがいけないの!!」

 ――もう一度会いたい。
 ――取り戻したい。やり直したい。
 ――それを望んでどこがいけない。
 エドワードは緩く首を振る。
 彼女の言葉はかつての自分の言葉だ。ただ一つを追い求め、欲し、そして罰を受けることになった。だからその心が痛いほどよく分かる。
 しかし、一つだけ違う。
 あの時の自分には止めてくれる人間はいなかった。今は、自分がいる。道を正してやれる可能性がある。


 ゆっくりと息を整え、言い含めるように言葉を告ぐ。
 「その錬成陣はあちらの世界で使われるものに応用を加えただけだ。ベースがあちらになっているから、こちらで発動するのは危険だ。何が起こるか分からない。あちらでは術者へのリバウンドで済むことも、どうなるのか分からないんだ」
 ――それに、この世界では足りない。この陣では足りない。
 「……ベースがあちらなのに、この構築式には代価がないんだ。この世界には代価の観念がないから」

 「錬金術は等価交換なのでしょう。代価はあるわよ。二人を取り戻すために二人の犠牲を。対象は変わってしまったけれど、まあいいわ」
 エッカルトが薄手の手袋を外し、白く細い指を露わにした。エドワードは二人の対象が自分達を指すことに舌打ちした。構築式というのは繊細で法則にのっとって組み上げられるべきものだ。余計なものを組み込んでは上手く発動しないばかりか、危険が伴う。
 「アルフォンス、扉の鍵を開けろ。合図したらこの部屋から出るんだ」
 エドワードが前を向いたまま呟く。アルフォンスはうろたえながらもそっと後ずさって後ろ手に鍵に手を掛けた。


 「あんたは錬金術師じゃない。下手をすればただじゃすまない。それ以前に術が発動しない可能性だってある」
 エッカルトがきっと睨みつける。
 「あなた、そんなことを言って私の幸せを奪うつもり?」
 「そうじゃない」
 「できるかできないかなんて、やってみなくちゃ分からないじゃないの!」
 言い様にエッカルトがゆっくりと腰を下ろしていく。

 「アルフォンス! 行けっ!!」
 かちりと音を立てて鍵が開く。アルフォンスが扉を開いて飛び出した時、エドワードの腕を捕らえることはできなかった。
 エドワードは床を蹴り、エッカルトへ向かう。
 描かれた陣を踏み越え、エッカルトを陣上から外そうと手を伸ばす。

 けれども、一瞬遅かった。

 エッカルトの指先が陣に付く。
 その瞬間、エドワードは地響きと共に懐かしい光を見たような気がした。



 「――っエド!!」
 凄まじい轟音に、アルフォンスの悲鳴はかき消された。





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