ごてごてとした装飾。
 気味の悪い彫刻。
 少なくとも、こちらの世界ではない場所。
 ため息をつくのが先か、もしかしたらという希望からの興奮を抑えるのが先かは自覚できなかった。

 また「あいつ」が出てくるんだろうなという予想は、見事に裏切られることになる。






 シャンバラを征く者  選





 「あいつじゃなくて悪かったな」
 突然背後から声がかけられ、エドワードは振り返った。
 そこには一人の人間。
 少しだけ目線の合わない、小柄な少年。黒のパンツにジャケット、輝くような金髪を後ろで三つ編みにし、同じく金色の瞳は笑っていた。
 いたずら小僧のような意地の悪い笑みで、少年は肩をすくめてみせた。


 「…………」
 唖然として硬直しているエドワードをよそに、少年は悠然とした足取りで近付いてくる。鏡を見ているようだった。
 少しだけ距離を取り、少年が立ち止まる。
 「……ド、」
 「ど?」
 「……ドッペルゲンガー」
 小首を傾げた少年はそれを聞いて、腹を抱えて笑い出す。人を馬鹿にしたような態度に、エドワードは我に返って赤面した。
 「だ、誰だ。お前!」

 少年はぴたりと笑いを止め、今度はにたりと笑む。
 「さあね。あんたは?」
 物怖じのない態度に口調。大佐はよく許していたな、とおかしなことを考えた。
 「……エドワード・エルリック」
 「じゃあオレも『エドワード・エルリック』ってことで」
 反論に開きかけた口を彼の視線で制される。



 パン、と小気味よい音が響いた。
 少年は合わせた手を地面にそっとつける。何も起こらない、と判断しかけた時、浮かび上がったいくつもの門。
 高低差も上も下もあったものじゃない。周囲の変わりように辺りを見回した一瞬の間に、三つ編みの少年は一つの門の上に位置を変えていた。
 「ここは、真理じゃないのか?」
 「そうだな。ま、とりあえずいちいち代価を要求する姿なき番人がいる所じゃあないな」
 「……何なんだ、これは」
 少年の方が高い位置に腰掛けているために見上げる格好になり、エドワードは呆然としつつ口にした。その様子を面白がるように、少年は笑みを深くした。

 すっと挙げられた手にはご丁寧に白い手袋まではめられている。人指し指を伸ばし、順々に指していく。
 「これはアメストリス。あれはシャンバラへ。ユートピア、亀の山、また別の世界へ。全部がどこかの世界に繋がってる。ここまでくる奴なんてそうそういないんだ。好きなの選べよ」

 ここは真理を垣間見る場所とは違う。
 思い出せるのは夫人が陣を完成させたことと、彼女を陣の外に引っ張り出そうとしたところまでだ。術が発動したのか、発光で視界が塞がれ、気付いたらここにいた。
 やはり錬成陣としては不完全だったのだ。だから何かの不具合が生じてしまい、おかしな場所に繋がってしまった。
 ――けれども、これは悪いものじゃない。
 「…………」
 ごくりと喉を鳴らし、エドワードは先程少年が指差した門の一つを凝視した。
 あの門を抜ければ、アメストリスへ繋がっている。帰れる。
 諦めていた道。無理なんだと割り切ろうとしたもの。それが今、ここにある。目の前に。

 「『オレ』のことだからどれ選ぶかなんて大体予想付くけど、どれでもいーんだぜ。お前は錬金術師だから、どこへでも繋がってる。どこへだって帰れるんだ」
 それは確かに祝福の言葉だったけれど、エドワードは違和感を感じた。見落としてはいけない。
 「……彼女は? エッカルト夫人も巻き込まれたんだ。こっちに来ているはずだ。夫人はどこに?」
 彼女は魔術を研究していた一人だが、錬金術師かと問えば違う。
 錬金術師だからどこへでも行けるという言葉は、裏を返せば錬金術師でない人間はどこにも行けない――恐らく、この空間から脱出できない――ということになるのではないか?

 少年は幼さの残る顔に驚きの表情を浮かべ、すぐにそれをかき消した。
 「……あの人はここでは目覚めない。永遠に至福の夢を見続けるんだ。あんたは錬金術師だから、真理を垣間見た術師だから、選択の機会を与えられたんだよ」
 迷うことなどないはずなのに、迷った。
 自分は帰れる。彼女は幸せの中に。どちらも夢を叶えられるじゃないか。それでも、一瞬だけ迷った。

 「……ルーマニアはどれだ?」

 「っ何言ってんだよ!!」
 少年が扉から飛び降りて、駆け寄ってきた。見上げてくるその酷く不安げな表情が似合わない。
 「夫人を連れて帰る」
 「そんなことしたら、あんたはアメストリスに帰れなくなるんだぞ! 選べるのは一度きりなんだ。分かってるのか!?」
 あまりの狼狽振りに苦笑する。
 「分かってる。でも、彼女を失いたくないと思っている人もいるはずだ。それを知っていて、オレだけ帰るなんてできねぇよ。また親父一人にするのもかわいそうだし」

 「あの女の人はここにいれば幸せな夢の中にいられる! それでいいじゃねぇか。だってお前本当はずっと帰りた……」
 「ああ、帰りたかった。口では諦めたって言いながら、諦めたふりしながら、それでもあの研究書を解読し続けた。記録された陣が発動しないかもしれないって気付いても、止められなかった。何か、何か糸口が見つかるんじゃないかって」
 エドワードはふいに滲みかけら視界に気が付いて、溜まりそうになっていた涙を目を閉じることで再び吸収した。

 「アルフォンスも、ロイ・マスタング助教授も、リザ・ホークアイ講師も、とてもよく似ているけれど別の人間。最近やっとそれが飲み込めるようになってきたんだ。それで思った。絶望して、親父に愛されて、友達ができて、いろんなことがあって。オレは成長した。もうアメストリスにいた頃のオレとは違う」
 掠れそうになる声に、喉に力をこめる。そして無理に笑った。
 「だからかな、今素直に思うんだ。『こっちがオレの世界なんだ』って」

 「本当に、そっちでいいのか?」
 「ああ」
 いつの間にか一つの扉に女性が寄りかかって座していた。デートリンデ・エッカルト夫人。
 幸せそうに笑み浮かべていた。少しだけ胸が痛んだけれど、彼女が見ているのは幻。偽りの夢。

 エドワードはエッカルトを抱き上げ、扉を押した。すっと開いた扉の中から白い光が漏れていた。
 後ろを振り返ると、少年がじっと見つめていた。眉を下げて、唇を噛んで。



 彼は姿だけでなく、思考もエドワード・エルリックだったのだろう。だからあんな言い方をした。
 アメストリスに戻りたい本心と、恐らくは戻れない、戻らないと決意するだろうとの予測。

 夢の中にいれば幸福が保障される。けれど、夢は覚めるもの。
 人は夢の中で生きるものじゃない。現実の中で苦しみもがきながら、それでもささやかな幸せを見つけて生きてゆくもの。現実世界こそが、シャンバラと思えるようになれればいい。

 エドワードは後ろで扉の閉まる音を聞いた。
 真理の場所とは違う、かそけく鳴くような音だった。



 この時の選択を、後悔はしない。絶対に。





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