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いつの日も笑顔で プロローグ
「兄さん、起きて。朝だよ」 その声で夢から覚めた。
いや、その言い方は語弊がある。どちらが夢なのか分からないのだから。 アルフォンスのにこやかな笑みを見て、『人』の姿であることを確認して、肩に触れるくらいの短い髪の感触で、『こちら』だと分かる。
そう、オレは国家錬金術師なんかじゃないし、そもそもこの世界に錬金術などない。あれは過去の迷信、デタラメで、科学の元ということになっている。 オレはただの学生。父と母、そして弟が一人。親戚はいない。 幸いなことに、こちらの父は家を出て行くようなことはしなかったし、母はいまだに健康だ。恵まれた環境で、不自由な思いはほとんどしたことがない。
夢うつつなエドワードを本格的に起こそうと近付いたアルフォンスをベッドに引っ張り込む。 「兄さんっ」 「起きてる。起きてる。今起きる」 へらへらと笑って、エドワードは身体を起こして、アルフォンスを抱き締めた。まるであちらの自分が弟の身体を取り戻したような気持ちがして、嬉しさが抑えきれない。
「……またあの夢見たの?」 少しだけ心配そうに、少しだけ疑うような声音でアルフォンスが言った。 エドワードがこういう風に愛情表現をするのは珍しいし、やたらとスキンシップを取りたがるのですぐに分かる。
「見たような気がするけどあんまり覚えてない。あー腹減った」 「もー。早く着替えておいでよ。朝ご飯の用意はできてるんだから……」 ベッドから降りたアルフォンスはくるりと振り返って待っていた。エドワードが優しいなーと頬を緩ませながら床に足を付く。 そこでバランスを崩した。 手をつく破目にならなかったのは、アルフォンスが支えてくれたからだ。エドワードは軽く謝って、笑ってごまかそうとした。 が、アルフォンスにそれが通じるわけがない。
「兄さん。兄さんの手足はあるんだからね。義肢のつもりで動かすからそうなるんだよ」 とげのある言い方。実はこういうことは両手で数え切れないほどあったので、アルフォンスも辟易している。夢を見たようだと聞いて、おそらく今日も転ぶだろうと予測して、エドワードがベッドから降りるのを待っていたのだ。
そう、あちらでは片足片腕が機械鎧という随分と精巧な作りの義肢だったのだが、こちらでは五体満足。夢の中と同じように身体を動かそうとすると失敗する。
「もう。父さんと母さんには言わないから、そんな顔しないで。さ、顔洗って! 制服に着替えて!」 アルフォンスは無理やりに手を引いて洗面台の前までエドワードを引っ張って行く。新しいタオルを用意し、今度こそ下階に降りて行った。
乱暴に顔を洗い、滴る雫をタオルで拭った。 鏡の中に自分が映る。 髪の短いことを除けば、あちらの自分とこちらの自分はほとんど違わない。父親譲りの金髪、金目。牛乳嫌いだけどシチューは好物。 ただし身長は標準だ。小柄だとは認めるが、チビとは言われない。健やかに育てられたからだろう。
夢と自分の意識が混同し始めたのはここ数ヶ月だ。 小さい頃はそんな夢は見なかったし、時々見るようになってもそれは夢だと理解できた。自分が主人公のストーリー。朝になれば上映終了の映画のようなもの。 それがどうしたことか、夢だと思えなくなってきた。
妙にリアリティがあり、時系列が整ってきた。夢は毎日のように見るし、途中で目が覚めても次の日は途切れてしまった辺りから始まる。 両親や弟のように身近な人間が出てくることが多かったのが、知らない人達まで出てくるようになった。固有名詞もよく耳にするし、それを覚えている。 突飛で不可解、不可思議な世界で毎晩時を過ごすのだ。
知っているのはアルフォンスだけ。 以前区別がつかなくて初めて取り乱した時にいたのがアルフォンスだけだったから。 父母には言っていない。余計な心配はかけたくなかった。せっかく幸せなのだから。
あの時はあちらの自分が何かとんでもないことをしでかして、弟の身体を奪った夢だった。足がなくなって、血がたくさん出て痛かった。 母が死んだことや弟が消えたことがごちゃ混ぜになって、曖昧ながらも怖かったことは覚えている。ものすごく混乱していたから、多分事実じゃないことも組み込まれているのだろうなと思う。
それまであちらの自分に同調することはなかったのに、あの一件で境目が取り払われてしまった。あちらの自分の気持ちがまるで自分の感情のように感じるし、何を考えているのかちゃんと理解できる。 だから目が覚めてもあちらの自分でいるような気がして、アルフォンスが鎧の姿じゃないことが嬉しいし、義肢のつもりで足を動かしてしまう。
けれども今のところ、害らしい害はない。 アルフォンスを口止めしてしまえば他に何が起こるわけでもない。黙っていれば気付かれることはない。 少しだけ残酷で辛い映画を体験していると思えばいい。
白いワイシャツにズボン。ネクタイの結び方を忘れかけていて、慌てて思い出す。こちらの自分は何年もやっているじゃないか。
ジャケットを羽織って、伸びかけの短い髪を括る。 何となく伸ばしてみたくなったのだ。幼馴染には「不良!」と実に失礼なことを言われたが、ピアスをしている女子に言われたくはない。校則が緩いので大抵の行動は黙認される。
我が家では父が長髪なので反対はされなかった。 けれども、「なんだ。伸ばすのか? そうか、父親に憧れる年頃になったか」と言われた時はさすがに切れた。 殴りかかったのをアルフォンスに止められ、母はにこやかに笑っていた。 それを見て、何となく思った。
まぁいいか、と。 あちらでは手に入らなかった団欒。幸せ。
朝食を食べ終わると幼馴染が迎えに来た。 母が作った弁当を受け取り、アルフォンスと三人で学校へ向かう。 これがこちらの日常で、普通。 こんな当たり前の生活を送れることが何だかとても嬉しくて、初夏の空を仰いだ。
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