純情





 「大佐ぁ、頼むよ」
 「だめだ」
 「お願いっ。鍵貸してくれよ」

 「……、仕方ないな。食事は必ず摂ること、最低五時間は眠ること。いいな」
 「分かった分かった。大佐、サンキュ!」
 ロイの差し出した古い鍵を引っ手繰るように受け取り、エドワードは満面の笑みで執務室を飛び出して行った。



 「汚いっスよ。大佐」
 「何がだ」
 「今の『ソクラテスの心理効果』じゃないですか」
 「ブレダ、博識だな」
 「俺も知ってます! 士官学校で習いましたから」
 「いいじゃないか。私のありがたみが増すだろう」
 ははは、もっと感謝しろ。などと叫ぶのが将来有望だと噂される人物その人だと、とてもじゃないが信じられなかった。
 室内にいた一人以外全員がため息をついた。





 夕食をぱくついていると、アルフォンスに引きずられる格好でエドワードが食堂に現れた。アルフォンスが「全く兄さんは」とか「これだから」とぶつぶつ言っているのが聞こえたので、おそらくまた昼食を忘れたのだろう。
 手を揚げて合図すると、気付いてこちらに駆け寄ってきた。

 「ハボック少尉。今メシ? 一緒にいい?」
 ハボックが肯定を返すと、エドワードはさっさとパンやらシチューやらを乗せたトレーを持ってくる。エドワードとアルフォンスはテーブルを挟んでハボックの向かい側に座った。

 「なあ、大将。さっきのことだけどさ」
 「ん? 何」
 エドワードがパンを頬張りながら視線をよこす。
 「書庫の、」
 「ああ。すっげー助かる。感謝してるって大佐に言っといて」
 笑顔で言われ、ハボックが言いにくそうに口を開く。
 「あのさ、その……大佐には気を付けろよ」
 「どういう意味ですか?」
 アルフォンスが純粋に首を傾げた。
 「いや、大佐って大将のこと過剰に喜ばせたりするから……」
 目を泳がせているハボックに、エドワードとアルフォンスが顔を見合わせる。

 二人は一瞬考えて、そして思い当たったように「ああ」と頷きあった。
 「もしかして、兄さんが大佐に頼み事した時、必ず一度断ることですか?」
 「んなの常識じゃん。『ソクラテスの心理効果』だったっけ? アル」
 そうそう、と穏やかに話す二人に、ハボックは嫌な予感がした。
 「……お二人とも知っていらっしゃる?」
 もちろん、と二人が同時に頷いた。

 「『より素晴らしい物として男に与えるためにはどうすれば?』」
 「『一度求めを断り、そして与えよ。さすれば喜びは何倍にもなろう』」

 省かれている言葉を知っているハボックは、口をパクパクと開閉していた。
     . .
 「確か娼婦とソクラテスって哲学者の問答だったよな」
 ハボックがテーブルに突っ伏した。ごつんと派手な音がして、近くにいた軍
人が不審な目を向けていた。

 「んなのどこで知るんだよ


 ハボックの呟きに、エドワードとアルフォンスが再び顔を見合わせた。きょとんとしている様子はいたって純真無垢だ。

 「どこって、師匠が教えてくれたんです」
 「そうそう。世の中には腹黒い大人がたくさんいるんだからなって」
 ハボックはしばらく起き上がれそうにないと思った。

 さすがエルリック兄弟の師匠。いや、その師匠ありてこの兄弟ありなのか?
 ハボックは、この兄弟は読書量も人生経験も半端じゃなかったんだと実感した。ロイの目論見は全くの見当外れだったらしい。



 エドワード十三歳、アルフォンス十二歳の初秋のことであった。





END.
 
→娼婦なので、与えるのは『身体』のことなんです…。