自分よりも、夢よりも大事なことがある。
 だから、諦める。
 と、そう言った子どもは全然知らない顔をしていた。





 君に会いたい





 「世界は不完全だ。……だから、美しい」
 「私の色は、少し薄すぎます」
 髪を絡めた指は払われて、金色はするりと抜けていった。
 求めているものよりも、少しばかり月の恩恵を多く受けた金色。
 私は息をついて、背の枕にもたれかかった。

 「すまない」
 いいえ、と答えた彼女は瞳を伏せた。
 「悔やんでいるのは、私だけではなかったのですね」
 「そういうことになるか……」
 「はっきり言って、安心しました」
 あなたは最期まで、素直じゃありませんでしたから。

 静かだけの室内に、静かだけの声が響いた。










 「いなくなるなんてな。……鋼のらしいというか……全く、君の兄ときたら」
 「突然すみません」
 以前はよく彼の兄が座っていたソファに腰掛けているのは、短髪の少年だった。年は、十歳くらいだろうか。
 「ボク、兄さんのことが知りたいんです」
 強い焔を宿した瞳に微笑みかけ、頭をなでた。彼とよく似た、だけど彼より少し濃い金色。
 「構わない。よく来た。アルフォンス」
 少年にとっては初対面である大人は笑った。


 「兄さんはどんな人でしたか?」
 初めに口にしたのは彼の錬金術のことではなく、国家資格のことでもなかった。
 本当にこの四年間のことを何一つ覚えていないのだと理解して、寂しくなった。
 「そうだな。強い人間だった。身体はち……小柄なのに、何があってもくじけなかった。君と二人で足を踏ん張って立っていた」
 「ボクと?」
 「ああ、エドワードは形式上私の部下に違いはなかったがね。口の聞き方は知らんし、やることは派手だし、騒々しいし……」
 少年がくすりと笑った。きっと彼は昔からそうだったのだろう。

 どこか似ていると思って、兄弟なのだから当然だと思い直した。だが、彼がこんなふうに笑ったところは見たことがなかった。



 「彼と私は決して仲がよいとは言えなくてね。……エドワードがそんなふうに笑ったことも見たことがなかったよ」
 白状した私に、少年が驚いた顔をして、それから苦笑いした。
 「でもマスタングさんは兄さんのこと、嫌いじゃなかったんですね」
 「…………」
 「兄さんのことを訊くとみんなそういう顔をします。でも、あなたはひときわです」
 「……ひときわ、か」

 「兄さんもマスタングさんのこと、嫌いじゃなかったと思いますよ」
 「まさか」
 即座に否定した私に、少年は穏やかに言う。
 「だって最期に兄さんと別れたのはロゼさんですけど、別れの言葉を残したのはあなたにだけでしたから。きっと兄さんにとって、あなたは特別な人だったんです」


 さらばと言った私に、彼は短くさよなら、と返した。
 その前、車の中で思い詰めた顔をしていたのも見て見ぬふりをした。彼にできる方法が一つしかないと知っていたのだろう。
 そうか、あれは私にだけだったのか。
 ほんの少しの優越感。
 ……不安と恐れを隠し切れなかった彼に対して、何もしてやらなかった私へのあてつけだろうか。


 「……さよなら、とね。私が片手を出しても、エドワードは握りもせずに軽く触れただけだった。いや、あれは叩くに近かったか」
 「それが、兄さんなんですね」



 手を出した時、一瞬だけあのかたくなな瞳が揺れた。見上げてきた顔は、子供だった。
 決して私を頼ろうとはしなかった、大人のふりをし続けた、子供。

 手を差し出すより、抱き締めてやればよかった。
 せめて別れの言葉ではなく、
 「いってらっしゃい」
 と言ってやればよかった。そうすれば、帰ってくると約束したかもしれないのに。

 帰ってきてほしい。
 手を差し出すより、抱き締めてやればよかった。
 大丈夫かと、言ってやればよかった。
 必ず帰ってこいと、必死になればよかった。
 こんなに後悔するなんて。
 あれきり会えなくなるなんて、思っても見なかったんだ。










 「兄さんは、必ずボクが見つけて戻ってきます」
 だからそんな顔をしないで。兄さんが帰ってきたら何て言ってあげるか、考えて置いてください。


 少年が去った部屋で、空を仰いだ男が何事かを呟いた。
 しかし、それは開け放たれた窓から吹き込んだ風によって紛れ、誰の耳にも届くことがなかった。





END.