ふと、ペンを持つ手を止め、窓の外へと目を移す。
 いい意味で、最近は街が騒がしい。中央だけではなく、国全体がだ。
 かたわらに置かれた今日の新聞に目を通す。一面に片手を上げてにこやかに笑う男がいる。

 昔とはまた違う落ち着きと堂々さが、いまだに女性にモテる秘訣らしい。
 口元に拳を当てて、くすりと笑う。そういやしばらく顔を見ていない。

 目の前のデスクに目をやり、げんなりする。
 上への報告書が溜まりに溜まっている。加えて、そのまま提出するわけにはいかない請求書、伝票、草案、その他諸々の書類。
 十年程前には『仕事しろよ。給料ドロボウ』などとからかっていたのを覚えているが、今となっては笑えない。いくらやっても片付かないのだ。嫌になる。
 ホークアイ中佐のような副官がいれば少しははかどるかもしれない、と考えかけてやっぱりやめた。


 「兄さん……?」
 カチャリと音がして、両開きの扉が開く。
 「仕事、終わりそうにないの?」
 困ったように言うアルの身体はまだ鎧のままだ。
 仕事に追われて研究どころではないオレの代わりに、今はアルがリゼンブールを拠点に研究をして、時々は旅をしている。
 「もう少し、かな。オレ後から行くから、先に行っててくれよ」





 reopening






 ホムンクルスを倒した後ベッドに縛り付けの状態だったオレに、アルが言った。
 「少し、休憩しようか、兄さん」

 ずっと旅をして、賢者の石を求めて、元に戻るために走り続けてきたオレ達、オレには、立ち直るなんて困難に思える結末だった。
 窓に自分の姿が映ると『あいつ』と同じ色の瞳と髪の毛が目に入って、それが嫌で鏡やガラスを避けていた。
 ショックはショックで、しばらくは自分が何を考えればいいのか分からず、ただベッドに横たわり、やたらと白い天井を見上げていた。
 自分が一番重症だったらしく、次々と退院の報告を兼ねて見舞いに来る顔見知りにも、何を話したのか覚えていない。

 夕陽に染まった病室の中で、アルが唐突に言ったのだ。「休もう」と。
 「ゆっくりでもいい。ボク達はボク達のやり方で進もう。……だから、これは休憩だよ。ね、兄さん」
 その後大佐にも勧められ、アルに押し切られる形でオレは中央に腰を下ろすことになった。





 それから十年。対ホムンクルス、アエルゴとの戦いや任務を着々とこなし、少佐相当だった地位は中佐になり、少なからず政治的ごたごたにも巻き込まれつつある。
 面倒臭いこと、この上ない。

 そうこうしているうちに、夜の帳が下りる時刻になってしまった。窓の外は淡い色に包まれている。ちらほらとガス塔のオレンジが見える。
 しっかりと仕事を終え、提出のために司令部内を駆け回る。中佐という位をもらった今でも、部下というものは持たない。
 オレの仕事は『彼』を上に押し上げることだから。その志を『親バカ准将』から継いだ。

 バタバタと帰り支度をして、トイレの鏡でチェックする。
 真っ青な軍服は、さすがにもう着慣れてきたと言えるようになってきた。
 自身も心配し、周りからも心配されていた背も随分伸びた。アルには及ばないが、視線は格段に高くなった。
 中央に居つくようになっても、始めのうちはやはり黒の上下姿だった。
 明確に『少佐』の地位を賜った時、自分から軍服を希望した。当時はまだ十代だった。
 今年で二十六になる。鏡の中の面差しは大人び、変わらないのは瞳と髪の色くらいだ。その髪も、今は短い。二十歳を過ぎ、『中佐』になった時、思いきって切ってしまった。
 軽くなった頭に慣れるのに、少し時間がかかった。


 ゴーン、と鐘の音がした。
 街の中心にある時計のものだ。
 数は六つ。
 「やべっ」
 待ち合わせは六時だった。
 また厭味を言われるか、と苦笑して車に乗り込む。
 今夜は記念パーティーなのだ。










 「来た、来たっ」
 かわいらしい声がして、その後ろからもう一人が顔を出す。
 悪い、悪い、と言いながら、エリシアに謝る。もうすっかりお年頃のレディだ。
 どうやらずっと外にいたらしい。愛らしく引く手が、少し冷たかった。
 エリシアの声に顔を覗かせたのはウィンリィだ。今じゃ立派な機械鎧技師で、独り立ちしている。
 中央でも、ロックベルといえば名が通っている。

 ビュッと飛んできたスパナを右手で受け止める。手袋で吸収された金属音が響く。
 用心してて助かった……。いつまでもそう何度も同じ手を食らうわけにはいかない。
 「遅いわよっ エド! だいたいそのままの格好だし……」
 ウィンリィが指す通り着替える暇もなかったので、真っ青な軍服のままだった。
 まぁ、仕方がない。ポンポンとはらって中に入った。


 「顔を合わせるのは二週間ぶりか。遅かったな、鋼の」
 変哲のないシャツを着こなし、今夜のパーティの主役が不敵に笑う。
 ……誰のせいだよ。
 ここ数週間は自分がやる以外の仕事も預けられて、本当に忙しかったのだ。
 このために……。

 「大総統ご就任、おめでとうございます」

 ピシッと敬礼するオレを見て、堪えきれなくなったようにケタケタと笑い出す。
 「少しは世間というものを知ったか。だが、君が真面目に軍人をやるのは似合わないな。それに、就任は公式には明日だ」
 「あんたなぁ……」
 どこまでもおちょくった言葉に腹が立ち、何か言い返してやろうと口を開いた瞬間、邪魔が入る。

 「お疲れ様です。エドワード中佐」
 キッチンから出てきたのはホークアイ中佐だ。その後にグレイシアさんが大きなパイの皿を手に入ってくる。遅刻したオレのために、料理を下げていたらしい。
 待ちかねたように、中央司令部の面々が歓声を上げる。


 「よし、じゃあ オレも……」
 「待ちたまえ」
 立ち上がったロイに、振り返ったオレ。
 相手は笑顔で片手を差し出した。
 「エドワード。君は明日付けで『大佐』に昇進だ。おめでとう」
 一瞬呆けて、固まる。……何て言った? 今。
 「前任の大総統からの頼みだ。東方にでも赴かせて経験を積ませてはどうかとも言われたが、それは却下した」
 「……オレが、大佐?」
 そうだ、と頷く。
 確か、ロイが『大佐』になったのも……。

 「これからも私の元で働いてくれたまえ」
 ずい、と伸ばされた手に気づいて、握り返す。答えはもう決まっている。
 「あぁ。もちろん」



 広間のテーブルにたくさんの料理が並んでいる。
 パーティとはいってもそんな大層なものじゃなく、身内を集めてのささやかな夕食会だ。

 「これからは、最低限の時間は確保させよう」
 背を向けたまま、ぽつりと言ったロイは、みんなの声にテーブルに歩いていく。
 それをオレはただ見つめていた。
 研究を再開させる時間を、きっかけをくれると約束したのだ。


 がむしゃらにもがいていた日々を思い出す。
 国中を這いずり回って、文献を読み漁り、死にかけたことも一度や二度じゃない。
 もう休憩は十分しただろう? 諦めたくないと言ったあの心はもうないのか?
 いいや、違うと否定する。
 大丈夫。今なら立ち上がれる。まだ諦めていない。
 絶対、諦めたくない。
 アルと二人、元の身体に戻ってみせる。
 オレ達のやり方で。



 早く、と急かされ、分かったと答える。
 踏み出した一歩は、軽快に地を蹴った。





END.