夏で、とても暑い日だった。
 エドワードはふと思ったことを口にしたのだ。
 他意はなかったし、傷つけるような気もなかった。

 「中尉。暑くない?」





 きずあと





 司令部に着いた時はすでに熱中症を起こしかけていた。
 門に待機している守衛の心配を「大丈夫」と遮って、何とか執務室にたどり着く。
 全体重をかけて扉を押し開けた。

 「たいさは?」
 「軍議に行ったばっかり」
 ハボック少尉の的確な答えに、全てを放棄しそうになる。
 目眩がして、扉に背を預けて座り込む。
 部屋の中には男どもばかり四人がいたけれど、この暑さに団扇を片手に、机の上の仕事には無視を決め込んでいるらしかった。中尉がいないからできることだ。
 それくらい暑かった。
 冷風機は壊れていたし、窓を開けているのに生暖かい空気しか入ってこない。
 皆軍服を脱いで、だらしなくワイシャツの袖を捲り上げたり、ティーシャツになったりしている。この部屋の中に限って、大佐が許したんだろう。
 そんなことだから、気付いてくれる人はいなくて。
 情けないけれど、このまま倒れるよりはマシだと開き直る。

 「スミマセン」
 突然の謝罪に、机に突っ伏していた人は顔を上げて、天井を仰いでいた人は顔を下げた。ぐったりとした動作だったけれど。
 アルを連れてこれば、これだけは避けられたのに。失敗した。
 「げんかい。いむしつにつれてってください」

 一瞬の間。
 「バカっ! 早く言え!!」





 さすが軍人、と感心している間にベッドの上にいた。

 いつも自分のことを体力型だと言っているだけあって、軍服を羽織ったハボック少尉が担いで医務室まで走ってくれた。
 手袋を外されて、靴も上着を脱がせられて、塩水を飲ませられた。
 氷枕で横になって、冷風機を独占して、軍医から小言をもらってしばらく寝ていたら、頭痛も目眩も治まった。
 涼しい風にうとうとしていたらしい。気が付くと昼食時で、医務室は無人になっていた。少尉達も執務室に戻ったのだろう。いかなる理由があろうとも、命が惜しければ仕事は終わらせなければならない。午前中に楽をした分、午後は大変だ。

 「……あ」
 ゆっくりと身体を起こすと、上着を脱いだまま、上はタンクトップ一枚だった。裸足に、腹部にタオルケットが掛けてあるだけ。
 編んだ髪がほつれて、一筋頬にかかる。
 言いようのないバツの悪さに、大きめのタオルを見つけて肩に掛ける。
 ほっと息をついた時、医務室のドアが開いた。



 「起きていたの。具合はよくなった?」
 ホークアイ中尉だった。
 トレイをサイドデスクに載せると、昼食を持ってきたのだと言った。
 「ありがと。もう治ったみたい」
 「大佐には、軍議を終えたら様子を見に来させるから」
 「いいよ。小言はドクターだけで十分」
 パンを食べながら答える。中尉はもう昼食を済ませたらしい。

 ふと思ったのだ。
 ここは冷風機のおかげで涼しい。けれど、今日は暑い日だ。
 この熱気にハイネックでは厳しいだろうと。

 「ねえ、中尉」
 何気なかった。
 パンを飲み込んで。
 視線を軍服の中着に向ける。
 「暑くない?」
 そういえば中尉って半袖とか着ないよね。
 そこまで言って、気が付いた。
 中尉の表情が凍りついていた。そんな顔は見たことがなかった。今まで見せたこともなかった。
 自分にとっては些細なことでも、誰かの地雷を踏んだ時は瞬時に分かるものだ。
 「ご、ごめん! 気分悪くしたんなら謝る」
 視線をそらす。中尉が自分に気付いて、はっと息を呑む気配がした。

 「……いいの。気にしないで」
 恐る恐る顔を上げると、中尉が困ったように笑っていた。
 「……傷が、あるの。背中から首近くまで。隠しているわけじゃないのだけれど、見ても気持ちのいいものじゃないでしょう。だから」
 傷つけてしまったと気付いた。
 言ってはいけないことだったんだ。
 そういうことは話したくないことだと思う。
 女の人なら、なおさら。

 肩に掛けたタオルを握り締める。
 「……そう」
 「エドワード君のそれと同じ気持ちね」
 びっくりして目を合わせてしまう。
 中尉が指をさしていた。
 「……なんだ。中尉、知ってたの?」
 「何度かそうしていたのを見て。男の子だって言ってもね。もしかしたらと思って」

 「……リゼンブールじゃさあ。誰も彼もオレらの錬金術を知っててさ、『あのこと』も何となくでも分かっててさ。なのに、誰も怒ってくれなかった。何も言ってくれなかった。でも気の毒そうに見る目だけはあって、それが嫌で嫌で。癖になってんのかな。…機械鎧だって分かってても、接合部って引き攣れがあるし。うん、そう。見てて気持ちのいいもんじゃないから」

 「じゃあ、ここだけの話にしましょう」
 ふわりと微笑んでくれる。
 母さんみたいに、とても優しい人。





 どうしても聞いておきたいことがあった。
 だから中尉が立ち上がった時、追いすがるように引き止めてしまった。
 「……中尉の、それ、みんな知ってるの?」
 表情は変わらなかった。
 慈しむような眼差し。
 「……いいえ。大佐だけよ。ご存知なのは」
 「そう。よかった」
 中尉が不思議そうに首を傾げる。
 「誰か一人でも分かってくれている人がいるって思うだけで、何となく楽になるじゃん」
 「それは、経験?」
 「オレは救われてる。大佐は許してはくれなかったけど、分かってはくれたから。……何も考えてなかったんだ。ただ、会いたかった」
 「私も、救われているわ。信じられる人がいることは幸せだもの」



 中尉が出て行った後は、冷風機の唸るような音と蝉の断末魔だけが響き満ちていた。





END.
 
エドのシャワーシーン記念はなくとも、リザのはあるのです。