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触れた肌は尋常じゃないほどの熱を帯びていて、驚いて手を離すと掠れた声が誰かの名前を呼んだ。
ボクと同じ、けれどもボクではない人の名前を。
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水を張ったボウルに浸したタオルを引き上げ、固く絞る。それを額に乗せ、今度は氷をもらいにドアを開けた。 「グレイシアさん、」 「エド君、大丈夫?」 心配そうに小声でささやいた彼女の手には氷の入ったボウルがある。わざわざ持ってきてくれたらしい。
「風邪みたいです。薬ももらったので安静にしていればいいってドクターが」 ボクはお礼を言って受け取る。 「それじゃ、何か要り様だったら言って頂戴。お昼はオートミールを作るわね」 そういって彼女は出て行った。ふと思い出す。 今日は確かデートだといっていたのに。キャンセルさせてしまったのだろうか。
体を休めるためには負担になる義肢は外してある。一度汗をぬぐって着替えさせてからベッドに運んだのだ。 「こんなにこじらせる前に何とかしようがあるじゃないですか」 呆れたように独り言を呟き、熱を確かめる。 今日は休むと伝えたから、一日看病していることになるだろう。
「……あ、る」 まただ。 彼が呼んでいるのはボクじゃない。 ボクじゃない方のアルフォンス。 何度か呼び声が繰り返され、そして規則的な浅い呼吸に戻る。
昼を過ぎても彼は眠りっぱなし。ろくに意識も保っていられないらしい。そして熱は相変わらず下がらない。 グレイシアさんが届けてくれたオートミールが冷める前に呼び掛ける。彼の牛乳嫌いを知っているので、牛乳ではなく水で煮込んである。 「エドワードさん。何か食べないと薬が飲めませんから一度起きてください」 三度目でやっと焦点の定まらない瞳が開いた。 「……アル?」 泣きそうな声で呼ばないでください。 「アル」 ボクは、あなたの弟じゃ……。 「アル」
「兄さん」
ボクはなるべく直視しなくて済むようにベッドの端に腰掛け、彼の体を抱き起こす。力の入らないだろう体を支え、片手でオートミールの皿を引き寄せ、スプーンですくう。 「兄さん。薬が飲めないから、少しでいいから食べて」 もう一人のアルフォンスはどんなふうに喋るんだろう。 彼が気に留めないことを祈りつつ、スプーンを口元に運ぶ。彼は素直に口を開けた。 一口、もう一口、と促していく。
「兄さんはいつも無茶をするんだから。風邪だってこじらすと怖いんだよ」 ふと、口をついて出た。余計なことを言うつもりはなかったのに。 「小さい頃は逆だったね。ボクが酷い風邪を引いて、兄さんは遊び相手がいなくて退屈そうにしてたっけ」 彼がきょとんとした表情で見上げてくる。一瞬ひやりとしたが、彼は微笑んだ。 作り話のはずなのに彼は納得しているし、浮かんでくる情景はどこかリアルだった。どこにでもありそうな話をしているだけなのに。
「近所にも遊び仲間はいたのに、兄さんはボクのそばに付きっきりで。母さんがうつるから離れているように言ったら、部屋の隅で膝を抱えて……」 彼がむせ、慌てて背中をさする。四分の一は食べただろうか。今度は錠剤を口に含ませ、水で流し込む。上手く飲み込んでくれたらしい。 すっかり疲れてしまった彼を再び横たわらせる。不自然にならないよう目蓋を塞ぐように手で覆うと、彼は緩慢な動作で左手を伸ばしてきた。外そうとするのかと思ったが、他の体温を求めていただけらしい。
彼はまた弟の名前を呟いた。
「大丈夫。ボクはここにいるから、兄さんはゆっくり休んで」 ボクの手のひらが濡れていく。舐めたらきっと塩辛いだろう。 やがて呼吸が寝息に変わり、ボクは手を外して彼の流した涙をぬぐった。
「いつまでそうしている気ですか? 覗きも盗み聞きも下品ですよ」 カタンと音がして、グレイシアさんのデートのお相手が姿を現した。 「気付いてんなら早く言えよ。あの雰囲気で立ち入れるか? 普通」 「さあ、ヒューズさんなら気にせず入ってくるかと思ったんですけど」 どういう意味だよと彼は眉をしかめた。
「グレイシアから今日は行けなくなったって聞いて、何があったかと思えば下宿人が寝込んでるって言うじゃねぇか。じゃあ俺がこっちに来ればいいだけの話だって……」 「初自宅訪問おめでとうございます」 「おう! 昼は手料理食わせてもらったし……って違う」 「違うんですか?」 「いや、違わないけど」
彼は誤魔化して話題を変える。 「……さっきの、」 「彼の弟さんがね、ボクにそっくりなんですって」 これだけ意識朦朧なら覚えてないでしょうし。 「弟のふりしてたのか」 「だってそうでもしないとこの人何も食べてくれないんです」 少しだけかさが減ったオートミール。
いや、と彼が言う。 「本当かと思った。小さい頃の話とか」 自嘲に微笑む。 「弟さんの話は聞いていたし、こんな感じかなって」 彼は納得してない表情をして納得したように頷いていた。
「浅ましいですか? そこまでして彼に踏み込みたいと思うボクが」 食べ残しの皿を持って部屋を出て行こうとした彼に尋ねる。返事は期待していなかった。 「いいんじゃねぇの? そこまでしたい相手がいても。もし俺がお前で、グレイシアさんがエドだったら、それが卑怯な手でも使うと思う」 真面目な顔で答えられて、ボクは苦笑した。 「男女間と一緒にするんですか?」
「相手に求めるものなんて、男も女も大した変わりはねぇよ」
その言葉が一番深い所にすとんと落ちてきて、ボクは沈黙した。
END. |