A WEEK  01
 ――思い出すと、恥しくなることもたくさんありますが、今では、あれでよかったんだと、すべてを受けとめることができるようになりました。
                       銀色夏生 幻冬舎「葉っぱ」より引用





 アメストリス国、東部。
 イーストシティの駅に、たった今着いたばかりの列車から二人の軍人と一人の子供が下り立った。

 「あぁ、やはり疲れたな」
 二人いる軍人のうち、男の方が肩に手を当てて首を鳴らした。
 一見黒目黒髪の青年将校のようにも見えるが、階級はすでに大佐という地位にいる。

 「試験を済ませてとんぼ返りですからね。大佐の御公務が滞っているので仕方ありません。…エドワード君、あなたも疲れたでしょう。司令部に着いたら仮眠室を使うといいわ」
 厳しく応じた女性は彼の副官である。驚くほど優しいセリフの後半は、一緒にいる金髪の少年に向けられたものである。
 「あ、いえ」
 と呟いた少年は、恨みがましく大佐の背を睨みつけた。





 「何だね?」
 後方から発せられている刺さるような視線に、ロイはとうとう振り返った。
 そこには十歳を少し過ぎたばかりの少年がいる。無言のキツイ上目遣いが痛い。子供の持つ眼力というものは、慣れてしまった嫌味たらしい大人のものより直接的で、率直で、数倍タチが悪い。

 きちんと向き直って、ロイは見上げるエドワードに頭を掻いた。
 「仕方がないだろう。君だけ中央に置いてくるわけにはいかないし、私には仕事があるし」


 エドワードの不機嫌には理由がある。
 国家錬金術師の試験を終えたエドワードに、ロイが中央の図書館に行けるかもしれない、と言ってしまったのだ。もちろん、エドワードは興味を示し、一瞬だがロイに対しては珍しい笑顔まで見せた。
 しかし、翌日の副官の忠告に断念せざるを得なかった。
 折角なのだから、とリザにエドワードを頼もうかと考えて相談したのだが、「それでは誰があなたがサボらないように見張るのですか」という一言の前にばっさりと切り捨てられてしまった。……それはもう、見事なまでにばっさりと。
 結局、ロイが言い出したのに図書館にも寄れず、完璧な『とんぼ返り』になった。
 エドワードの態度も当然といえば当然だった。そして怒りの矛先はなぜかロイ一人に向けられることになった。



 エドワードはこの時点ですでに子ども扱いされることをよしとしていなかったが、はたから見ればどう見ても『休日に約束していた遊園地に行けなくなって拗ねている子供』であった。
 困ったのはロイである。
 女性を口説くのは得意だが、子供の機嫌の直し方は知らない。子持ちの父親ならば何とでも上手くできるだろう。しかし、残念ながらロイはまだ二十六で独身だった。いつもは頼りになる副官のリザも、よほど仕事が詰まっているのか手を貸してくれる様子はなかった。

 参ったな…。
 ロイはため息を一つ吐く。
 子供のご機嫌などとる必要はないのかもしれない。しかしロイ自身はエドワードが国家試験に合格するものだと思っている。長い付き合いになるのだから、せめて表面上だけでも親しくしておきたい、というのが内心だった。
 磁石の同じ極が近づくのは難しい。磁力が弱くなるのなら、話は別だが。
 こんな子供を推してしまったという負い目も、ないわけではない。
 軍服のポケットから銀の懐中時計を取り出して時刻を見る。まだニ時を少し過ぎたくらいだ。


 「中尉、司令部の連中で手の空いている者は…」
 「おりません」
 いるか、という問いにもならなかった。
 リザは荷物を下ろして、手配しておいた車の方に向かおうとしている。その後にエドワードもくっついている。

 「ブレダ少尉、ファルマン准尉、フュリー曹長はいずれも書類整理及び各部署からの申請書催促の対処に追われております」
 上司の問いに、身体を振り返して答える。ぎっちりと埋まったスケジュールを把握しているらしい。そういえば昨夜も連絡を取って様子を聞き出していたことを思い出す。
 そして阿鼻叫喚の如く恐ろしい状態になっているだろう執務室を想像しそうになって……慌てて思考を切り替えた。
 折角思いついた案も上手くいかないらしい、と、一人抜けていることに気付く。
 「中尉、ハボック少尉は?」
 ヘビースモーカーで背の高い男がいたはずである。



 エドワードは始めて聞く名前ばかりでイメージできなかったが、話し振りからロイの部下のことだろうと推測した。
 「別件で市街に出ております。いかがなされたのですか?」
 彼もだめか、とロイは諦めた。
 「いや、イーストシティにも図書館があるから、誰かに付いてもらおうと思ったのだが…」

 「そんなに遠くないな」
 呟きに目を向ければ、エドワードが構内に設置されている地図を凝視していた。
 嫌な予感に、待ったを掛けようと口を開く前にエドワードの瞳が輝く。
 「オレ、一人で行けるよ。お構いなく。大佐はオシゴト頑張ってください」
 貼り付けたような、不気味でさえある笑顔でにこりと笑うと、トランクを掴む。
 走り出そうとするのをリザが止めた。
 「エドワード君、悪いけどあなたを一人にするわけにはいかないの。何かあったら危険だわ」
 自身を気遣う言葉も、こうなってしまったエドワードには届かない。
 「大佐、オレそこらの奴より強いって知ってるよな」
 ロイはとりあえず、あぁと頷く。本当のことだ。

 大佐、とリザが止めようとする。しかし、この少年が一度決めたら絶対に意志を曲げないことも承知している。
 ロイが「来る」と言ったわずか一年後に、彼は東方司令部の門を叩いた。

 護衛は付けるべきだ。だが、普通の下っ端軍人に任せるわけにはいかない。
 第一、どう説明する。彼が国家試験を受けたのだと誰が信じる。その突飛な行動についていけ、なおかつ彼を軽んじることのない、信頼できる人物でなければならない。
 しかし……モノは考えよう、かもしれない。
 ロイが口を開いた。
 「分かった。ただし五時には司令部に来ること。厄介事は持ち込むな。面倒事には巻き込まれるな」
 「しかし、大佐」
 リザの反論を手で制す。

 「分かったな」
 エドワードは頷くなり駆け出した。機械鎧装備者とは思えないほど機敏な動きで、角を曲がって赤いコートが見えなくなった。


 「いいのですか?」
 「彼は言い出したら聞かないよ。五時ならば外もまだ明るい。問題ないだろう」
 ははは、とのん気に笑う上司が運転する車が、司令部に向かう。


 


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