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目を開けると、木目が見えた。頬に優しい木の感触がある。 がばりと顔を上げると、エドワードの姿はなかった。慌てて周りを見渡すが、気配がない。 昨夜の徹夜がたたったのか、いつの間にか眠ってしまったらしい。
ヤバイ…。 仮にも勤務中であるのに。立ち上がるとひらひらと紙切れが床に落ちた。拾ってみると、走り書きの拙い文字が書かれていた。 . “司令部に戻ってます。少尉もお疲れ様。 エドワード”
ハボックは血相を変えて飛び出した。
A
WEEK 08 ――と いうのはウソだけど それもいいかなと 今 思った 銀色 夏生 『小さな手紙』より引用
全速力で走って、やっと姿を見つけたのは司令部の中だった。門から入り口までの間に小さく見える。 膝に手を掛けて、切れた息を整え……たいのは山々だったが、悠長にそんなことをしている暇はなさそうだった。
エドワードの周りに青い軍服を着た数人がいる。遠目でも寒々とした雰囲気が見て取れる。嫌な予感がする。 エドワードは図書館で借りたのであろう本を数冊抱えていて、軍人達をにらむように見上げている。おそらく司令部に入ろうとしたところを咎められたのだろう。 臨戦体勢に入った。 「……っ大将!!」
間に合わなかった……。 エドワードが本を抱えていない方の腕をつかまれると、素早い身のこなしでそれを振り外し、低くかがんで軍人の一人の足を払った。予想外だっただろうが、それはもう見事なまでにしりもちをつく。激昂した相手と周りがつかみかかる一瞬早く間に割り込んだ。
「……少、尉」 「っと。悪いんだけど、こいつ大佐の客なんで……」 幸い、顔見知りの連中だった。
「ハボック少尉。大佐というと、マスタング大佐の?」 「何故こんな子供が司令部への立ち入りを……」 「! まさか、マスタング大佐の……」 「あー! 言いたいことは分かるが、違うぞ」 ハボックは額に手を当てて訂正しようとする。が、どう説明していいものか言葉を濁した。 その様子に、エドワードが馬鹿げた大人たちの会話に終止符を打った。
「国家錬金術師試験を受けたムボウなガキだって言やあいいじゃん」 ぞっとするような冷たい声で言い放つと、固まった軍人達を放ってエドワードはすたすたと歩いていく。実際そうなので、ハボックはじゃ日頃の訓練怠るなよと言うとエドワードの後を追いかけた。
夕食を食べるとすぐに呼び出された。 夕方の喧嘩未遂をどこからか聞きつけたのだろう。 「面倒事は引き起こすなといったはずだが。……君はどうしてわざわざ人目につくような振る舞いをするのだね?」 ロイ・マスタングは大きく息を吐いた。 ちなみに腰掛けているのはいつもの椅子で、その机の前に立っているのは押し黙ったエドワードと、冷や汗たらたらのハボック少尉である。
「そうだろ。実際」 「申し訳ありませんっ。俺が居ね……」 「オレ、あんたの隠し子疑惑掛けられたんだぞ」 ハボックの失態をかき消して、エドワードが言う。ハボックは驚いてエドワードを見るが、当人はそれを気にする様子もなくロイと言い合っている。 上司とも大人とも思っていないような口調に、違和感を感じる。
「……ったく。どいつもこいつも私を何だと思っているんだ」 「日頃のしわ寄せだろ」 「だいたい。やり返す時には人目につかないようにもう少し上手くだな……」
「大佐」 うおお、何てこと言ってんだこの上司はと思ったところに、それまで控えていた副官が安全装置を外した。 「……。とにかく、君は異例なのだから、よく思わない連中も多い。合格通知が届くまでは大人しくしていたまえ。本当に大変なのはその後なのだから」
執務室から出るなり、ハボックはエドワードに尋ねた。 「何で黙っててくれたんだ?」 減給になんなくて助かった、と言うハボックを一瞥して、エドワードは仮眠室に向かう。 「……等価交換。走ってきてくれたから」 振り向きもせずにぽつりと言ったエドワードに、ハボックは無愛想というイメージを払拭した。
仮眠室に戻ったエドワードは荷物をまとめ始めた。 昨夜は仕方なく仮眠室で一夜を過ごすことになったのだが、今夜は寮の空き部屋を一室用意された。信じられないくらいの特別待遇はロイの職権乱用である。 荷物はトランク一つだ。持ち上げようとすると、ハボックが先に手にした。
「何すんだ」 ひょいと持ち上げられたトランクを取り返そうとするエドワードをかわして、ハボックが部屋を出る。 「お前、手けがしてるだろ。重いもん持つくらい任せろよ」 エドワードの手にはいつも通り白い手袋がはめられている。しかしその左手にはまだ浅く包帯が巻かれていた。 そうはいっても、なおも食い下がるエドワード。 「任せられるか! 返せ。自分で持つ」 ハボックが言う。 「じゃあ、あれだ。『等価交換』。走っただけじゃ足りないだろ。さっき黙っててくれたのは」 「! ………」 減給は怖いからな、と軽口を叩く大人の後を子供はあきらめて付いていく。
「それじゃ、よろしく」 ハボックは軍の寮を利用しているフュリーとファルマンにエドワードを頼んだ。 エドワードはすでに部屋に行ってしまって、寮の入口で三人はしゃべっていた。
「分かりました。たいしたことはできないかもしれませんが」 「少しは慣れてきてくれているんでしょうか。僕も大佐から渡された調査書の分しか彼を知らなくて」 「私もです。正直どういうふうにしていいのか……」 名前、性別、家族構成、性格、それくらいしかあの紙切れには書かれていなかった。略歴といえるほどの年月さえ、生きていない子供なのだ。 「やっぱ子供だなぁっては思うっスけどね。何か頑張って大人ぶってる感じ。たまに、見てて国家錬金術師候補だってこと忘れるよ」
「……そう言えば健康診断書、なかったですよね」 フュリーが気付いたように言う。 「そのことなんですが……」 ファルマンが頭を寄せるように仕草し、ハボックとフュリーが近付く。 「……ブレダ少尉が、言っていたんですが……その、」 歯切れの悪さにはっきり言えよ、とハボックが言う。ファルマンが辺りをきょろきょろと見渡し、呟いた。 「彼、片足義足ではないか、と」
その瞬間、空気が凍りついた。ハボックもフュリーも息をのむ。 「………」 「………」 たっぷり十秒の沈黙の後、ぼそりと言う。 「冗談だろ?」 至極当然な反応に、ファルマンも声を小さく続ける。フュリーは固まったままだ。 「私には分からなかったのですが、ブレダ少尉が言うには左右の足音が微妙に違うような気がする、と」 「そうですか? 僕気付きませんでした」 気を持ち直したフュリーが言う。 「俺も」 あ、とハボックが言う。 「ブレダってそういうとこ目敏いからなあ。案外マジだったりして」 「でも、ハボック少尉。普通義足であんなに流暢に動けるでしょうか? ましてや軍の狗になろうとする人間が」 首を傾げたフュリーに、ファルマンが言う。 「機械鎧なら?」 戦場を知る軍人なら、耳にしたことがない者などいないだろう単語を口にした。
「機械鎧。戦争による義肢技術発達にともなって開発、産業として成長している筋電義手を応用した鋼の義肢。神経の接続が可能なので自分の意思で動かせますが、その費用は一般人には手の届かないもので、手術時の痛みには大人でも音を上げると言われているあの機械鎧ですか?」 「長い説明どーも」
「まさか」 「やはり? そうですよね。いくら東部の内乱があったからといっても足を失ったとは限らないし」 「第一、その手術って大人でも耐えられないってさっき」 「ええ。神経を一本一本繋ぐことになりますから、その痛みは想像を絶するとか」 「俺の知り合いにも軍人続けたいからって手術した奴がいたけどな。直後は面会謝絶だったし、リハビリに少なくとも三、四年かかったらしいぞ。何度かリハビリ中に見舞いに行ったんだけどとても見てらんなかったよ」
「ですよね。あんな小さな子が」 肯定にフュリーが頷く。 親元にいるのが当然の年齢であるのに。彼には弟しかいなくて、父親は行方不明とあった。 なぜ軍の狗になど……。 取り残されたようにため息を吐いた。
寝不足なんだろう、とくすりと笑って。 時折十二の少年らしからぬ強い瞳で拒んで。 いまだに警戒を解いていないのは明らかだった。 時間が必要だと思った。もしくは何かを変えるきっかけが、必要だと思う。 長い付き合い、ロイ・マスタングという男の下につくのなら、少なくとも『仲間』ということなのだから。
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