後少しで三時になる。
 エドワードは一冊の本を持って部屋を出た。





 A WEEK  14
 ――今思えば あの時でも あの時でも けしておそくはなかったのに
                          銀色夏生 『ロマンス』より引用





 文面を流し読み。
 万年筆が紙の上を滑る音。
 視線は時計へ。
 そしてため息。


 「……仕方がありませんね。休憩に致しましょう」
 リザが言うなり、ロイはペンを投げ出した。ハボック、ブレダ、ファルマン、フュリーもぐったりと背もたれに身を預けた。
 いつもはリザが入れる紅茶を飲むのだが、今日は仕事が滞っているためか、リザはそ知らぬふりで書類の確認をしている。ちらりと見ると、部屋を出て行ってしまった。
 げんなりしつつ、仕方がないので紅茶は諦めて伸びをする。窓の外に視線を移して、気付いた。

 「大佐、どうかしましたか?」
 フュリーがソーサーと湯気の立つカップを持って尋ねた。リザの代わりに紅茶を入れてくれたらしい。
 こういうことはよくある。仕事が溜まっていて、作業効率も悪くて、自分のやる気が全くない時には、特によく。
 「いや、雨が降っていたことに気が付かなかったものだから」
 音もなくしとしとと降っている。しかし空は暗く、止みそうな気配はない。
 「あ、エドワード君ですか?」
 昨日のやりとりを思い出したのだろう。
 「、まあ。……そうだな」
 歯切れ悪く答えるロイに、ハボックが言う。
 「様子見てきましょうか?」
 「お前はサボる口実を作りたいだけだろう」
 「ひっで。大佐でもあるまいし」
 「何だと!」

 「私的な理由による喧嘩は軍規に反しますが」
 リザが戻って来た。
 ロイはハボックは「まさか」「そんな」と引きつった笑みで否定した。
 「じゃ、とりあえず大将んとこ行ってきます」
 ハボックが出て行くと、リザはそうね、と頷いた。
 「いつもの休憩を一時間も過ぎているものね」





 ダダダダダダダダ
 バンッ
 「っあの、た、大将が……いない、んス、けど……」
 上がった息を整える前に言ったので、切れ切れだった。
 「ハボック少尉、廊下はお静かに。ドアは丁寧に」
 「……す、すん…ま…せん」
 「「「「………」」」」
 冷静に正したリザの他は、一瞬黙り込んだ。
 一拍経って、反芻する。

 「ハボック、今何と言った」
 「大将が……部屋に、いませんでした」
 「置き手紙は?」
 「ありません」
 「トイレは?」
 「確認しました」
 「……脱走か……」
 「いや、それはないと思うんスけど」
 チッと舌打ちしたロイに、ハボックが言う。
 「午前中に借りてきた古くて分厚い本がベッドの上にありましたし、コートもちゃんと部屋に」
 ということは図書館ではないのだ。
 一応司令部から出るためには門を通らなくてはならない。守衛がいるので普通は突破は無理だが、あの子供が外に出ようと思えば塀に穴でも作ればいい。しかし、大事な本が部屋にあるということは、図書館ではない。第一、今は雨が降っている。
 ――雨……
 「中尉、医務室に行ってくる」
 「分かりました」
 ハボック達は顔を見合わせたが、リザははっきりと承知した。



 「…………」
 「……いなかったんですか?」
 フュリーが心配そうに言った。ロイが肯定すると、ざっと顔色が青くなる。
 「捜してきます」
 そう言って出て行ったのはリザで、ロイ達は一足遅れてその後を追った。
 「ハボックとフュリーはもう一度寮を捜せ。ブレダとファルマンは司令部内を。出入口の守衛にも確認を取れ」
 命令を下すと、ロイはリザの後を追う。


 「闇雲に捜し回っても仕方がない」
 リザに追い付き、ロイが言う。
 「しかし、エドワード君が黙っていなくなるなんて一度だってありませんでした」
 「落ち着きたまえ。君らしくもない」
 「……申し訳ありません」
 押し殺した声でリザが言う。
 「司令部内にしても、外にしても、あの子供が行く場所は限られている」
 「……はい」
 「執務室が無人だ。待機していてもらえないだろうか」

 「雨が降っています」
 「分かっている」





 「ったく、どこに行っちまったんだ。大将は」
 ハボックがぼやく。やはり部屋にはいない。戻った様子もない。
 「ホークアイ中尉も随分心配なようでしたし」
 フュリーが言う。
 「だよなあ。珍しい」
 二人は寮の男子トイレに向かった。


 「おばちゃん、ガキ来なかった?」
 ブレダは食堂のカウンターで、「金髪でこれくらいの」と手で示す。
 「あんた達、昼に一緒にご飯食べてただろ」
 「その後なんです」
 「その後は来てないけど」
 どうかしたのかい、と尋ねられる。ファルマンが答えかけたところで、ブレダが「他!」と引っ張って行った。


 「だめだ。寮にはいねえ」
 「ですよね。どこにも見当たりません」
 一度執務室に戻ろうと廊下の角を曲がったところで、何かとぶつかる。走っていたせいで、よけきれなかったのだ。
 短く悲鳴が上がって、ハボックが驚く。相手が女性なら、なおさらだ。
 「すんません! 怪我は」
 「いえ、こちらこそ申し訳ありません」
 散らばった書類をかき集める。
 「ありがとうございます……あ、」
 「「さっきの」」
 昼食を食べていた時に、エドワードに話しかけてきた一人だった。確か、手作りのクッキーを置いていった人。

 「あ、あのさっ。大将……じゃなくて、エドワード見なかったか?」
 立ち上がって書類を手渡しながら、ハボックが尋ねる。
 「エドワード君ですか? かわいいですよね……ってえっと、お使い頼んでしまったの、まずかったですか?」
 「「お使いっ!?」」
 二人が揃って声を上げて、廊下を通りすがる人がびくりと驚いていた。
 「……はい。図書館に勤めている友達に、待ち合わせの時間に遅れそうだという伝言を。私用で回線を使わせていただくわけにはいきませんし、どうしようと困っていたら、エドワード君が通りがかって」

 とりあえずは行方が知れて安堵する。脱力もいいところだ。
 「図書館なら場所も分かるからって頼まれてくれたんです。悪いな、って思ったんですけれど、クッキーのお礼だって。律儀っていうか、しっかりしてるっていうか」
 女性が苦笑する。

 「……『等価交換』ってやつだな。曹長、大佐と中尉に報告だ」
 「はい。あ、お話ありがとうございました」
 フュリーが礼を言って、二人が駆け出そうとする。
 「っあの! ……エドワード君、まだ戻ってないんですか?」
 鋭く呼び止められて、振り返る。
 女性が書類を握り締めていた。
 「……私がエドワード君に頼んだの、三時ちょっと前なんです」

 今日の休憩は一時間も遅れていた。
 時刻は四時半を示していた。





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